ニャンチママの日記

発達障害の子どもたちの子育てと教育についてのブログです

ユッキー13:先生、ユッキーを理解してください。

先生は現在のユッキーの姿しか見ていないので、「やればできる」「やろうとしないのはわがまま」と思っていると思われました。だから、今までの状況を先生に説明して理解してもらうしかありません。

 

次の日、放課後学校に出向いて、先生とお話をしました。

 

ユッキーが赤ちゃんの頃から体の動きが緩慢だったこと。

バランスが悪く、手先も不器用だったこと。

それに気がついて、家族ぐるみで頑張って体を動かすようにさせてきたこと。

何とか小学校に上がるまでに、伸ばせるだけ伸ばしてきたけど、やはり今でもみんなと同じ速さで活動させようとすることは、本人にとってはとても大変苦痛なことなのだということ。

 

彼が動きたがらないのを何とか動かして成長させようとしてきたことが、本人にとってはストレスになり、親への反抗のような状態が家ではあったこと。

保育園では我慢して頑張っていたのだけれど、小学校ではあまりに高度なことやたくさんの活動を要求され、かなり苦痛に感じているようだ・・・・・というような私なりの分析もお話しました。

 

その上で、お願いしたことは、

活動量を調整をしてほしい。特にやり直しはみんなの半分くらいにお願いしたい。

悪いことは悪いと指導していただいてOK。そして、どうしたほうがいいのか教えてほしい。

連絡帳は、いけないことをした時に連絡があるとユキは思い始めているので、最近見せたがらなくなっている。ということは、先生は僕の悪いことばかり親に知らせる、僕のことが嫌いなんだ・・・・と思っている節がある。なので、悪いところがあるのは重々分かっているので、できれば学校で頑張っていることを知らせるようにしてほしい。私も先生に家で頑張っていることをお知らせするようにしたい。

というようなことをお話ししました。

 

先生とユッキーの関係、親とユッキーの関係を良い方向に持っていかないと、数々の問題は解決できないと思いました。

 

12月7日  先生へ

日曜日はTくんとYくんと一日中ゲームをしたり外遊びをしたりして元気よく過ごしました。元気すぎて右手の親指を怪我してしまいました。チェスのようなゲームに凝っていて、よく先を読みながらゲームできるようになってきました。

 

12月7日 先生から

親指を怪我しているのを見て、「どうしたの?」と聞いたら、「これはおまじないなの。」といっていました。輪飾作りはとても一生懸命取り組みました。大きいのや小さいのができましたよ。

 

12月8日 先生へ

持ち帰った輪飾を、みんなに上手にできたねと褒められてとてもうれしそうにしていました。小さな輪飾はひもを通してペンダントのようにしていました。12月7日の日課をユキが割と綺麗に書いていたのでお父さんに褒められました。

 

12月8日 先生から

今日も少し立ち歩いたりすることがあったのですが、窓のところに上がっていた時、「降りておいで」と抱っこしてあげたとき、「やったー」とうれしそうにしていました。やはり注意ばかりが先行してスキンシップがたりなかったのかなと反省しました。昼の掃除のとき、観察園に腐葉土を運ぶのをとてもよく頑張ってくれて、5時間目まで一生懸命働いていました。「ゆき君、これ頼むね。」と名指しで頼んだことは、本当によく責任持ってやってくれます。「花壇に何を植えるの?」と気になるようでした。

 

連絡帳にいいこと、頑張ったことをお知らせしてもらって、ユキの表情も少しよくなってきました。先生は、親にだけでなく、ユキ向けにもお手紙を書いてくださり、とてもうれしそうに読んでいました。お忙しい中、毎日お返事をくださって、とてもありがたく思いました。

 

 

 

ユッキー12:先生からチョ〜長いお手紙が・・・・・

 それからしばらくは何もお手紙がなかったので、少しは落ち着いたんだろうかと思っていたら、12月はじめに先生から連絡帳5ページにわたるお手紙が届きました。

 

12月5日 先生から

 ユキくんの学校の様子をお知らせすることにためらったのですが、お知らせしておきます。

 マラソンの下見等で緑地公園へ行く時など、わたしの手を握りに来て、根はとても甘えん坊なのかなと思います。ただ、人の注意がなかなか素直にきけなくて、乱暴な行動に出ることが多いです。

 一昨日も脱いだ服を床に散らかしていたので、注意して片付けさせましたが、今度はベルトがないと言って半日ずり下がるズボンのまま、パンツを見せながら過ごしました。

 給食当番も他の子に何度文句を言われても仕事をしようとしません。箸を配る子が忘れていたら、「スプーンじゃないといらない。」と言って今日は手づかみで食べました。

 書き方の時間、文字の間違いを注意したところ、「丸じゃないといやだ。」と言って残りの時間は床の上に寝そべっていました。

 落とし物や学校へ置きっぱなしになっている物をできるだけ声掛けして直させようとするのですが、「いちいち言わなくてもできる。いちいちうるさいんだから。しょうがないあな。」という言葉が返ってきて、なかなか動作にうつしてくれません。

 昨日は「どうして注意したことが素直に聞けないの?先生が嫌いなの?」ときいたところ、「先生が全部きらいだ。」という答えが返ってきました。「先生がどこを直したらいい?」ときいたら、「しからないでほしい。100点にしてほしい。」という答えが返ってきました。先生もしからないよう、100点にするよう努力するから、ユキくんも先生の注意を素直にきいてね、と約束したのですが、今日も駄々をこねて私にボカボカなぐってきたところを、ちょうど生徒指導の先生に見られて、後で話してきかせてもらいました。その時はとてもおとなしく話を聞いていましたが、教室ではわがままが出るようです。

 私の指導力が足りないため、私の思いをなかなかユキくんにわかってもらえず残念です。先生は嫌いだと言いながらも、私に「ねえねえ、」と休み時間には抱きついてきたりするので、ユキくんの素直にならない原因が何なのか知りたいと思います。

 

 まだまだ続くのですが、ここまで色々あるとは・・。

 ユッキーの様子にも驚きましたが、先生が休み時間にこれだけの量の文章をきれいな字で書かれているというのも、同業者としては驚きというか感心するというか・・・・。先生も追い詰められていたのだとは思いますが・・・・。

 

 どうしたものかと、考え込んでしまいました。

 

 保育園ではこんなことはありませんでした。

 家では、小さい頃に比べたら少しずつ耐えることや頑張れることも増えてきていたので、学校のこの様子は驚きでした。

 学校で求められることがユッキーにはストレスになっているのは確かでした。それでも頑張っていたと思うのですが、もう耐えられなくなったというサインなのでしょう。先生や友達に注意ばかり受け、すっかりいじけモードで情緒不安定になっていることがわかりました。先生に本当は認めてほしいんだけど叶わないというユッキーの姿がありました。

 家で厳しくしすぎてる?うつになっちゃった母にはぶつけられなかった?

 「わがまま」という言葉で済まさないでほしい。このままでは、ユッキーが学校教育につぶされてしまう。

 

 私は学校に行って、先生と直接お話をすることにしました。

ユッキー11:先生からのお手紙

 担任の先生は、わたしより若い女の先生で、とても几帳面そうでした。どんなに忙しくても連絡帳のお返事はとても丁寧な字で感心していました。

 不器用で処理能力の困難さを持つユッキーでしたが、1年生のはじめはそれなりに学校では頑張っていたようです。

 私たちの住む県では1学期、2学期と個人懇談があって、通知表は懇談しながら親に渡されるようなシステムになっています。でも、1学期の終わりの懇談は、先生が怪我をされて、行われず、学校での具体的な話を聞くことができませんでした。

 2学期は運動会など大きな行事があり、それも何とか頑張っていたので、家ではことごとく駄々をこねていても何とか外では保育園のときのようにやっているのだろうと安易に思っていました。

 

 11月になって、頑張って書いていた連絡帳の字が乱雑な読めない字に変わっていきました。そんな頃、読書感想文のクラス代表になって、原稿用紙に小さな字で3枚も清書しなくてはならなくなり、それは彼にすごくストレスのかかる苦痛な出来事だったのではないかと思います。その頃からユッキーの様子が特に落ち着かないくなっていきました。

 

11月11日 先生からの連絡

 2年生とのお祭りでは、竹とんぼをたくさん作って店を出し、よく頑張っていました。音楽会の練習ではナレーターを頑張っています。でも根は気が小さいのか、ややもじもじしながらも、一生懸命頑張っています。

 ただ、製作中、練習中、なかなか自分の考えが強く、他の人から注意を受けても素直になれないことがあります。本人にはわざわざしかられることはしないように、注意を受けたら直すように言うのですが、これも個性と思いながらも・・・・。ついつい名前を呼ぶことが多くなって申し訳ないなあと思っています。

 ユキくんの良いところを伸ばせるよう、どのように指導していったら良いかと考えています。

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 学校でも家と同じような様子が出ていることにちょっと驚きました。

 その日、夜に先生にお電話をし、いろいろご心配をおかけしていることを謝り、詳しくは連絡帳に書くということをお話ししました。

 

 母から先生へ

 昨日は遅くにお電話しましてすみませんでした。ユキは、赤ん坊の頃には運動に対する意欲のない子どもで、寝返りも歩くのも意欲がなくて随分心配し、気をつけて体を使わせるようにしてきました。手先を使うことなどもあまりしたがらなかったのですが、この頃はそういう点でも意欲がみられるようになってきたので、うれしく思っています。でも反面、ユキには嫌なことを強制してやらせたこともあるので、意固地な性格を助長してしまったのかもしれないなあと反省しています。

 毎日の生活を振り返ってみても、ユキには小言ばかりが多くて、なかなかほめてあげられず、いじけて素直になれないのだろうなあと思います。

 小さい頃からの成長の様子から考えたら、他の人にとっては苦もなくやれることが、ユキにとっては何倍も努力がいることなのだろうと思います。

 そう思ってユキを理解して、なるべく認めてあげるように、情緒が安定するように親として努力していきたいなあと思っています。

 先生にはいつも大変お気遣いいただいてうれしく思っています。これからもお手数をおかけするかと思いますが、よろしくお願いいたします。

 

 

11月13日 先生から

 お電話、お手紙有難うございました。私も連絡帳に書いたものどうか悩みつつ、書いた後もつまらないことを書いてしまったと後悔しておりましたが、お話しを伺って、霧が晴れたような気がしました。

 自分の思うように行動し、活き活きと活動するユキくんは、トムソーヤーみたいで、見ていると本当に楽しいです。でも、集団の中になると、みんながきちんとしている場合等には、少し変わっているなあと思えることもあります。学校教育の中で、ゆとりゆとりと言われるわりには、日々年々行事に追われ、教師の心にどんどんゆとりがなくなっていくようです。心にゆとりを忘れず、子どもたちを暖かく見守ってやりたいものだと思います。

 今日は時間やチャイムにとらわれず、公園でドングリや木の実、落ち葉を探したり拾ったりしました。そんなときは、ユキくんは実にいきいきしています。

 指導が行き届かないことが多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

 

 25年前の話です。まだ発達障害なんて診断名がなく、特別支援教育やインクルーシブなんてことはまったく教育界にはなかった頃の話です。

 今は、こんなタイプの子どものこのような話はどこでもあるけれど、当時は珍しいことでした。私も特殊教育をやっていましたが、自分の子どもの状態をどうとらえて、どう接していくことがよいのか、本当に悩んでいました。

 先生を味方につけて、一緒に頑張ってもらうしかない。

 そう思った母でした。

 

 しかし、このあとも、堰が切れたようにいろいろな問題が噴出していくるのでした。

 

 

 

 

ユッキー10:小学校は大変だよ⤴︎

ユッキーが1年生になって、親子で大変な毎日がはじまりました。

 

まず、宿題。

市販のプリント1枚なんだけど、

なぞり書きはかなりずれているし、ひらがなの形は悪いし…。

家で書き直しをさせたいけど嫌がるのはわかっているので、ほんのすこしだけ書き直してオッケーにしていました。それでもそれを済ますのに多分普通(平均)の子どもよりも4〜5倍の時間がかかっていたと思います。

 

それから明日の用意。

なるべく自分でできるようにしたいので、明日の日課を二人で見ながらやり方を教えていったけど、言うこと聞かない。昨日のまんまドンと入れようとしたり、鉛筆削るのをいやがったり。

それより一番大変だったのは、あるはずの教科書やノートや鉛筆などの文房具がないことでした。前の日に揃えて持って行かせても筆箱の中身が鉛筆一本だけとか度々なのです。いったいどこに消えてしまうのか?学校に置いてきたのか尋ねても本人は答えず、いったいどうなっているのか?????でした。名前書いてるのになあ。

そのうち教科書やノートがヨレヨレになり、もどってきた鉛筆や消しゴムがボロボロになっていたり(涙) プリント類もぐちゃぐちゃで連絡袋に入っていることなんかめったにない。学校は出すものが一杯あるのに、学校から家に届かない、家から先生に届かない(涙)

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きっと担任の先生は、この親はどうなっているんだろう?どんな育て方をしてきたんだろう?と思われていたと思います。

両親、教師なのにね・・・・。

 

先生は1年生の時に初めて子どもと出会って、それまでの生育歴なんか何も知らないのだから、親がどんなに苦労してこの子を育ててきたのか想像もつかなかったと思います。

 

不器用で処理能力に困難さを持つユッキーにとって、学校という場所がどんなにストレスだったかということも先生にはわからなかったと思うし、それがどんな形で現れるのか、私にも予想できていませんでした。

 

 

ユッキー9:ママも発達障害だった?

ユッキーが1年生のときの話になる前に、ママのことを少し…

 

昨日、勤め先の病院のカンファレンスがあって、ウツになりやすい人の話がでました。自分がこういうふうになりたい、なるべきと思って頑張り、一所懸命にそれに向かう。自分では頑張れる、まだ大丈夫と思う・・・けれど、体の方は悲鳴をあげる。そして気が付いたらウツになってる。・・・・・という人たちの中に、やっぱり発達障害の特性を持つ人が割合として多いのでは?という話でした。

 

私だわ・・・・・

 

私は自分の中にうっかりミスの多さ、おとなしいけど不注意傾向が多いというのは気が付いていたけど、自閉傾向については気づいていないところがありました。

 

思い起こせばあったよね。

小学校1年生のときに、「遊んでいるひよこは何匹ですか?(先生は中と外に分けて考えていた)」と先生に尋ねられて、私は餌をついばんでいるひよこを、頑として「遊んでない!」と泣いて言い張った。(参観日に)・・・という逸話。(マイルール曲げない)

 

トランプをして負けると、悔しくていつも泣いていた。「泣かんでもよかたい。」といつも父に言われていました。(負けるのが認められない。よく言えば負けず嫌いですけど)

 

転校して馴染めなくて、1年間泣いて暮らした。中学になった時も高校の時も大学の時も、はじめはよくても6月頃に必ずブルー(環境の変化に弱く、切り替えが難しい)。大学のときなど、東京から実家にに週間ぐらい帰省してました。両親は何も言わずに家に置いててくれたけど、わたしが環境の変化に弱いとわかっていたのでしょうね。

 

6年生の時、友達5人で先生の家に泊まりに行ったことがありました。その時作ってくださった野菜炒めにベーコンが入っていて、その匂いを嗅いだ時、「いやだ。食べられない。」と思った通りに口にしてしまいました。他の大人っぽい友達にこそっと呼ばれ、「先生がせっかく作ってくれたんだから、そんなこと言っちゃダメだよ。」とたしなめられ、そのとき初めて、相手の気持ちを考えて喋らないといけないということに気づきました。(他人の気持ちを察するところの弱さ)

 

挨拶もそうです。近所の方に挨拶されたら返していたけど、中学になったある日、親から「近所の人に会ったら、自分から挨拶するものなのよ。」と教えられ、ああそうなんだ・・・・とやっとルールがわかった。・・・・というような調子。(状況を察する力の弱さ。)

 

学校の先生として、立派に授業をしなきゃいけない。準備もしなきゃいけない。記録もとってなきゃいけない。

母としてちゃんと子供の世話もし、遊び相手もして、立派に育てなきゃいけない。

と自分の力量以上のことをしようとしていました。

 

もともと抜けたところも多い人なんだから、無理な話です。

 

この『うつ』の経験で、自分の限界を知り、生き方の軌道修正をしました。というか、全然自信を失ってしまったのですが・・・・。

 

うつになった年度の終わりに、本当は退職しようかと思っていましたが、校長の熱心な勧めもあり、一度行ってみたかった養護学校(支援学校)に移動して新年度を迎えました。

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ユッキーは1年生になりました。

 

ユッキー8:ママはウツになる

小学校就学までになんとかしなきゃという親の思いが強すぎて、かなりユッキーには無理をさせたのかもしれません。

特に文字に関しては、なかなか覚えようとしてくれなくて、焦りました。

仲のいい友達が、すらすら読めるようになっていて、自分がその子より読めないのがわかるユッキーは、余計読むことをしないようになっていました。

もちろん、手先が不器用なので、書くことだって論外。

 

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「どうして子育てうまくいかないんだろう。」

反抗する息子に、かなり親としての自信を失っていました。そこに、職場でのトラブルも重なり、私は眠れなくなり、食欲もなくなり、体重が1週間で7キロ落ちるほど痩せてしまいました。思考がまるでできなくなり、学級集金のお金も正確に数えられなくなって、「私どうしちゃったんだろう。」と思っているうちに、職場に行けなくなってしまいました。

 

横になっているとグワングワン耳鳴りがし、体が泥の中に潜り込んでいきそうな感覚でした。

『学校の子どもたちに申し訳ないことをしてしまった。教師失格。自分の子どもたちにとっては、私は悪なんじゃないだろうか。母親失格。こんな私は夫にとってもお荷物なんだ。妻としても失格。』

ずっとそんな思いと、訳のわからない感覚の中にいました。少しうとうしたときには、これは夢なんだ、きっと起きたら夢だったんだって安心するんだ、と思っていたのだけれど、目が覚めるとやっぱり現実たと気づき絶望的な気分になるのでした。

 

本当に私は危ないとこまでいったのですが、夫や義母や同僚やいろんな人たちに助けてもらって、何とか職場にも復帰できました。今、『うつぬけ』という言葉が流行っているけど、完全うつぬけには5年ぐらいかかっているように思います。ウツになってから1年くらいはちょっとのことですぐに不安の暗雲が心の中にたちこめて、薬の力を借りなければそこからぬけ出れなかったのでした。。

 

「うつぬけ」ついては、またいつか詳しく書いてみたいものだと思っています。

 

このときユッキーは年長さんで、大事な時期だったのだけど、私はこんな状態になり、しつけや感覚統合どころではなくなっていました。結構強気でバンバン鍛える親だったと思うけど、まったく強く言えなくなってしまったのです。

 

今思えば、そのことはかえってユッキーにとってはよかったのかもしれません。何もできないので待つしかない。できたらほめる(笑顔がなくなっていたので、気持ちこもってなかったと思うけど)。ゆっくりペースのユッキーにはちょうどよかったのかも。義母にはだいぶ負担をかけてしまったと思います…。夫にも…。家族の多大な協力もあり、小学校就学までには かつがつひらがなが読めて、形は不格好ですが名前と幾つかの文字は書けるようになっていました。

 

保育園の先生は「小学校は大丈夫。心配ありませんよ。」と言ってくださいましたが、小学校のことを、よく知っている私は、不安に思っていました。

 

そして、その不安は的中してしまったのでした…。         

 

 

ユッキー7:家庭での感覚統合

バーバは保育園の園長もやっていたほどベテラン保育士で、

さすがだなあと思うような環境作りをユッキーにしてくれました。

 

*壁とか掃き出し窓のところに大きな模造紙をずらっと貼って、好きに落書きさせる。

 体の動きも悪かったけど、指先の動きもやはり不器用でした。鉛筆持つより、まずは腕を動かして体全体で筆やクレヨンで描いて遊ぶことをさせてくれました。最初はとにかくぐちゃぐちゃだったり、ひたすらながーく描いたり。そのうち丸みたいなのを描きだして、何かにたとえたり。とにかく描くのが楽しいなあと思えたのじゃないかな。

 

*広告切り(ちぎったりはさみで切ったり)

 好きに切らせて部屋中雪みたいにして遊んで、片付けは掃除機かけるというようなことをしていました。

 

*ジージが作ってくれた砂場で、どろんこ遊び。

 扁平足だったので、裸足にさせて、砂場で歩きながら山作ったり、池を掘ったり。足首とか力入れないとのめり込んだ足がとれないし、バランス取りながら物を作らないといけないし、手足に砂でかなり刺激が入ると思うし、かなり感覚統合になったんじゃないかな。近くに海岸があるので、そこを裸足で歩かせることもやっていました。

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*本物のくず野菜でままごと。

 畑で野菜を作っていたので、くず野菜や間引きした野菜を、ちょっと錆びた小さめの包丁で切ってままごとご飯を作る遊びをさせてくれました。やっぱ本物は楽しいですよね。ぶきっちょさんだったけど、面白くて随分とこれで遊んでいました。手を切るかなあと心配だったけど、この遊びではそんなに怪我もしませんでした。このおかげで、料理のお手伝いとかよくしたがるようになりました。玉ねぎむきやつけものにするきゅうりを切るなど私もやらせるようになりました。親子のふれあいにもなっていいです。いっぱいほめられるしね。

 

*裏山のアスレチック。

 毎日通ったおかげで、少しずつできる遊びが増えていきました。最初は低い滑り台にのぼること、低い丸太渡り、低い丸太跳びなどから挑戦。ユッキーが4歳になった春には、10メートルくらいの山越えのようなアスレチックもゆっくりゆっくり登れるようになりました。これは本人もとても運動への自信につながったようです。

 

 

その他にも、私が当時勤めていた情緒学級から小さなトランポリンやセラピーボールなど持ってきては、家で遊ばせたりもしていました。

 

 5歳くらいからは音楽教室に入れたのだけど、これは小集団で、とってもみんなについていけないというのが、本人より母の方が辛くて結局やめてしまいました。集団で同じことをするのはきついですね。

 2年生からはサッカーにも入れてみたんだけど、これもとてもみんなの足手まといになるし、集団に合わせること、協力すること自体がユッキーには向かないのだと悟り、1年もしないうちにやめました。

 スイミングは4歳くらいから入れたのだけど、みんなが3〜4回バタ足で進むところをユッキーはぷーかぷーか潜ったり止まったりしながらやっと1回行き、みんなよりかなり練習量が少なめ。でもみんなに迷惑がかかるわけではないし、まあいいかと目をつむっておりました。(しかし母は、何回なぐっちゃろうか***と思ったことか) スイミングは結局そのまま続け、何と4年生くらいには平泳ぎやバタフライもできるようになり、選手コースにも通わせました。決して速くはなかったけど、普通以上には上手になって、1つ自信を持てる運動ができてよかったなと思いました。

 

ぶきっちょさんに運動させたいけどなかなかいいものがなくて、悩んじゃいますよね。

 

運動面に関しては親も祖父母もかなり手を入れ、鍛えたかなと思います。

本人はどうだったのかなあ。辛かったのかなあ。

幼児期、かなりの癇癪持ち、反抗期だったのだけど、こんな風に嫌な運動面のことを鍛えすぎたのかなあと今思ったりもします。