ニャンチママの日記

発達障害の子どもたちの子育てと教育についてのブログです

ユッキー6:バーバ感覚統合開始

県の東部から南西部に転勤になったときに、義母は仕事を辞めて一緒についてきてくれました。本当に感謝しています。

1歳3ヶ月しか離れていない年子。3番目はもうお腹にいて、1歳7ヶ月違いで生まれてくる予定でした。2年10ヶ月の間に私は3人の子どもを産んだのです。(4年間授からなかったので、まさかこんなにポンポンできるとは思っていませんでした。)

 

義母の手助けは本当に助かりました。

ユッキーに運動させなきゃと思うのですが、自分は身重で仕事(その頃情緒学級を担任)もあるし、帰るのは6時過ぎ。帰ってきてからも子どもの日常生活に追われ、それだけで精一杯でした。

母は保育園に4時頃お迎えに行ってくれて、遊ばせてくれたりご飯も用意してくれたりしました。

おじいちゃんが家に広いサンルームを作ってくれて、そこに小さな滑り台やジャングルジムを置きました。最初は嫌がっていたけど、お尻を支えて登らせていくうちに慣れて、自分でも登るようになってきました。でも動きはやっぱり緩慢で、どちらかというと動きたくないようでした。

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母は保母だったので、今までたくさんの子どもたちを見てきたのだけれど、その中でもこんなに動かない子はいなかったと言っていました。

私はその頃情緒学級を担任していて、学級にあった遠城寺の発達検査をして、運動の発達はやはり少し遅れているということを確認していました。(夫は検査なんかするなと言って怒ったので、その後はしていません。)

 

発達が遅れている→動かない→ますます発達が停滞する→周りのことはわかるからもっと動かなくなっていく

と負のサイクルに陥るのではと、とても不安になり、母にも相談しました。

 

母は気候も良くなったから外の遊具で遊ばせるようにしようと言ってくれました。

都合のいいことに、我が家は市の南側にある海の見える小山の麓にあって、山の上にはアスレチックがあったのです。

それから、母は毎日保育園にお迎えに言った後、アスレチックでユッキーを遊ばせてくれました。

 

今思えば、これは感覚統合訓練です。

バーバOT開始でした。

ユッキー5:ひどい癇癪

 

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桜も終わり、ツツジが咲き出しました。今年初のメダカの赤ちゃんも誕生。

季節は初夏に向かっていますね。

 

今日もユッキーの話の続きです。

 

ユッキーが、2才くらいから、癇癪がひどくなりました。

思い通りにならないとダメなんです。

それから絶対に自分が悪くても謝らない。

頑固というか、へそ曲がりというか、

本当に育てにくい子でした。

 

エピソード1

実家に帰った時に、みんなで寝ようと思ってもどうしても「いやだ」と言って布団に入らないというのです。

入れようとすると飛び出し逃げ回るので、仕方なく寝たふりをすると怒りだしました。ガンガン頭をぶつけるので、ダッシュボードの角で額を切ってしまい大出血。(頭の傷は血が出やすいんですよね。)夜中に病院に駆け込み6針縫ってもらいました。

 

エピソード2

妹が生まれたので、はやく排泄を自立させたいと思い、1才9ヶ月頃の夏にはトレーニングパンツからパンツに替えました。

2才になったある日、パンツを自分で履かせたら、後ろ前になっていました。

「ユッキー反対だよ、それじゃおちんちんがお尻についちゃう。履き替えて」

と言ったのですが、本人は「これでいいの。」と言います。母は「ダメだよ」と言うのですが、ガンとして履き替えようとしない。

 

放っておいたら、1時間以上、パンツだけではだかで過ごしていました。寒い冬の日で、泣き言も言わず、ブスッとしてうずくまる息子に、このひどい頑固さはいったいなんなんだろう・・・??????と悩む母でした。結局母が無理やり着替えさせ、そのあともプリプリしているユッキーでした。

 

きっと、パンツをはいたり服を着たりするのも、不器用なので、他の子の何倍も疲れたのかなとも思います。とにかく動作の鈍いのは続いていましたから。

 

エピソード3

状況が読めないというか、していいことと悪いことの区別がつかないというか、ときどきドキッとするようないたずらをしました。

 

彼が3才になったばかりの頃に新居を建て、真新しいソファーを買いました。リビングに3人くらい座れる上等な皮のソファーです。ユッキーはそのソファーのきた日に、夏みかん類の皮をむくカッターのようなものを何故か持っていて、ソファーの座る部分のど真ん中をスーーっと切ってしまいました。「もうもうもう・・・・・なんてことを〜〜〜!」っと母は怒りまくったのですが、本人はブスッとするだけで何も言いません。もちろん謝らない。

「あなたが大きくなったら、絶対買ってもらうからね。」というと、「わかった」と言うユッキーでした。

 

それから20年。新しいソファーは両親が買いました。次に買う時は、息子が買ってくれるでしょうか?

 

エピーソード4

もう何のことで怒ったのか忘れたけど、ぜったいに彼が悪いのはわかっているのに謝らないのに怒った母は、ユッキーを押し入れに閉じ込めたことがありました。

「謝らないなあら、ずっとそこに入ってなさい。」

入れたのが2時頃だったでしょうか。泣くかと思ったら、全く動じず、

夕方6時になっても出てこようとしません。別に鍵をかけているわけでもないので、自分で出てこようと思ったら出てこれるのに、出てこようとしないのです。

 

結局根負けしたのは母の方で、押し入れを開け、彼を出し、こんこんと諭しました。

でも、彼は自分は悪くないと思っている風でした。

 

こんな素直じゃない子は伸びないよ〜と、悩みまくる母でした。

 

 

家ではこんな調子でしたが、保育園ではまあまあいい子のようで、集団での活動も何とか合わせてやっていて、先生からあまり問題を指摘されたりはしませんでした。そこが不思議なところでした。

 

ユッキー4:牛歩のあゆみ

1才で腸重積になったユッキー。

せっかくつかまり立ちし始めたのにオアズケでした。

 

1才3ヶ月で妹が誕生。お兄ちゃんになりました。

妹のことは、近づいて行って眺めるけど、あまり興味はなさそう。

相変わらずマイペースなユッキーでした。

 

その頃やっと歩み始め、みんなで大喜び。

でも、すごくゆっくりなのです。

ドン・・・・・・・・ドン・・・・・・・・ドン

という感じ。

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義理の母は保育園の園長をしていたのですが、

「手術したから早くは歩けないんでしょう。」と言ってくれていました。内心はおかしいと思っていたみたいですが・・・・・。

 

1才半検診では問題はなく、言葉は50単語以上出ていたし、2語文も出ていました。

でも喋り方はボソッという感じ。

「牛乳・・・ちょうだい。」「くるま・・・きた。」

視線は合ったし、ニヒルだけど笑うし、質問には答えるし・・・・・カナーのいうような自閉症ではないわよね。でも何か変と思っていました。

 

1才7ヶ月、妹の首も座ったので、公園にお弁当を持って散歩に行きました。

ちっとも早く歩けないので、練習しなきゃなあという思いが強かったんです。

親が先に行けば追いかけてくれかなあと思って先から呼んでも

ドン・・・・・・・・・・ドン・・・・・・・・・ドン・・・・

見えなくなったら泣いて追いかけるかなあと50メートルくらい離れて隠れていてもも

ドン・・・・・・・・・・ドン・・・・・・・・・ドン・・・・

一向に歩を始めようとか、泣いて追いかけるとかなく、マイペースに歩き続けてはいるのです。

 

おかし〜でしょう〜!!

この子の情緒の発達と運動の発達はいったいどうなってるの???????

と?マークがいっぱいつく母でした。

 

ユッキー3:1才でまさかの腸重積

体の重かったユッキーも1歳近くになって、つかまり立ちをさせてやると(体が重くて立てない)足を交わし、ちょっとつたい歩きをするようになりました。

もうすぐ一人で歩くかも…とワクワクしていました。

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母はユッキーの1歳のお誕生日から教職に復帰。もうお腹には二人目がいて、7ヶ月の身重でした。

ユッキーは10ヶ月から保育園デビュー。いろいろ病気をもらってきては、具合の悪い日が続いていました。

 

1歳から三日目の土曜日。その日は朝から具合が悪そうで、いつもならよく食べるのにさっぱり食欲がなく、少し微熱もあり、風邪かなと思っていました。

近くの私立の総合病院がやっていたので連れて行きました。

「?・・薬を飲ませて様子を見てね。」と言われました。

 

でも、薬を飲ませても吐き、白湯を飲ませても吐き、「グググ…」と時折いうくらいで、夕方には死にそうにぐったりしてきて、病院に駆け込みました。

 

先生は大便が出ていないのを確認して浣腸されました。血便が出たのでびっくり。

「腸重積です。高圧浣腸をかけて腸を伸ばしてみますが、伸びなかったら腸が壊死をするので開腹手術をします。」と言われました。

 

もっと早く病院に行けばよかったのにゴメン・・・と祈りながら待ちましたが、結果は開腹手術。2時間くらいかけて手術しました。

 

母はなみだなみだで、もう仕事やめたい。と思いましたが、実家の母が手伝いにきてくれて、何とかこの危機を乗り超えたのでした。

 

昔だったら、助かってないですよね。

 

ユッキーは、痛みに対して鈍感なところがあると思います。本当だったら、普通の子供はこんなとき痛くてもっと泣いたと思います。年中さんの頃はフライパンで火傷をしても、1年生の頃カッターでだらだら血が出るほど切っても「痛くない」と言っていました。

4年の時に虫垂炎になった時などは、お腹痛いと言ったらしいけどみんなに「お前ヘチマを食べたからだろう。」とみんなから相手にされずがまんしていたら嘔吐して、やっと本気にされ病院に連れて行ってもらった時には腹膜炎の一歩手前だったというエピソードもあります。

他の子のように、痛くて泣くとかいうことはとんとない子でした。

 

これは、PDDの感覚の鈍さのせいか、DCDのせいか〜???

感覚に対して敏感だったり鈍感だったりするのは、危険なことも多いですよね。

 

 

ユッキー2:寝返りいつするの?

 

私のおっぱいの出方はたっぷりで、

ユッキーは標準以上にぶくぶくと育っていきました。

これはよくなかったと、今では思っています。

 

動きがやっぱり鈍くなるので、運動の発達が余計停滞したのではと思います。

 

でもまあ、首すわりは割と順調。

 

情緒の発達は?

ニコリとかするけどなんか?時々声を立てて笑うけど、ひきつり気味。

おじさんぽい赤ちゃんなのです。

 

もっとおかしいと思ったのは、寝返りの頃。

6ヶ月になって、仰向けから真横になるまではするのに、そのあとうつ伏せにはなろうとしないのです。30分でも横向き。おもちゃとか目の前に持ってきても手をもばそうとせずそのまま。30分以上たつと私の方が焦れて、背中をちょんと押すとうつ伏せになって、それはそれでいやでもなさそうでした。

何回もそんな調子。好きなおもちゃは鳴らしたりして遊んでいるのに、目の前で見せて誘ってみても手を伸ばさない。親から渡されたら嫌だったのか???太らせすぎて、横向きでも安定していたのか???うつ伏せになると大きなお腹で圧迫感があったのか???

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そんな感じが1カ月くらい続いたでしょうか。できるようになってからも、動きは緩慢。

 

後から年子で女の子が二人生まれたのだけれど、一度寝返りを習得したらコロンコロンを楽しむように何回もやっていました。

ユッキーはやっぱり動きは鈍かったし、マイペース感満載の子だったと思います。

 

ユッキー1:赤ちゃんの頃から〜?〜

ユッキーは31年前、雷の鳴る日。

(書いただけでも恐ろしい……)

先生が大きなおなかを上から押してくださってやっとこさ出てきてくれました。

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3840g。周囲の子どもたちより一回り大きく、髪も黒々していて声もでかく、

新生児室のボスのよう。すでにおっさんの風格を持っていました。

 

結婚して4年目で、不妊治療をして授かった初めての子どもだし、両家にとっても初孫だったので、周囲はみんな大喜び。

 

そんな中私は、病院から言われた、「3時間たったら起こしてでもおっぱいを飲ませなさい。」という呪文に怯えながら、ブルーな気持ちで子育てをしていました。(今だったら絶対に無視します。泣いた時にやればいいんです。大きかったんだから、もっと開けても何も問題なかったと思います。子ども任せが一番です。)

 

そして1ヶ月検診。

体重はさほど増えていなかったけど、元気。お医者様も順調と言われたのですが、助産婦さんにはちょっと気になることを言われました。

手足をよく突っ張る子どもだったのです。

「問題ないと思うけど、何か気になることがあったら相談してね。」

と言われました。

???

 

思えば、やっぱり赤ちゃんの頃から兆候はあったのだと思います。

子育てはおおらかに…したかったなあ

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我が家の前の道に咲く桜です。毎年この時期は借景で楽しめます。

裏山は1万本の桜が咲くという、有名な桜の名所です。

いいね〜。これを見ると、毎年気持ちが新たになり、

一歩踏み出さなくちゃと思います。

そんなわけで、このブログもはじめました。

 

子育ての話にいきますね。

 

我が家は3人の子どもがいます。

1番上のおにいちゃんはユッキー

2番目のおねえちゃんはリー

3番目も女の子でハー

 

今だったら絶対に発達障害の診断をもらうのはユッキー

発達協調運動障害DCD(とっても不器用)と自閉症スペクトラムASD・・でしょう。

3番目は記憶の障害LD。なかなか長期記憶にならない。聴覚の記憶も悪いかな。

2番目は勉強にやる気の出ない、アンダーアチーバー。もしかしたら、やっぱし自閉性が少し入っているかも。

 

ちなみに、私は今は心理士で、発達小児科に勤めています。(ドクターは全国的にも有名な方で、講演にもよく出かけて行ってらっしゃいます。)

以前は教員で障害児教育をやっていました。なので、前からそうだろうなあと思っていましたが、今は色濃くそう思っています。

私が子育てする頃は、「発達障害」という言葉はなかったものね。

 

もう3人ともアラサーです。

 

学校に通う頃には、自分とは違う3人の人格に翻弄されて、心配したり怒ったり必死になったりしてたけれど、今思えば、もっとおおらかに子育てすればよかったのに…とちょっぴり後悔しています。でも、いろいろ考えて接してきたことは、けっして無駄だったとは思いません。何も考えずに過ごしていたら、今頃子どもたちは自立できていなかったもしれないとも思っています。

 

自分の思っている子ども像とあまりに違う子どもたちだったので、一人あくせく普通(?)に近づけようとしていたところもあったかなと思います。

いけないよね。あまりにたくさんの他の子どもたちに出会い過ぎていて…。障害児教育を勉強して、だいぶたってから

「みんなちがってみんないい」

に修正できてきたかな。

 

みんな興味関心も発達の仕方もそれぞれなのよね。

なが〜い目で見ていく、なんとかなるさ〜と思う。

これは大事です。

親があせったら、子どもの情緒が不安定になります。

 

それは、一番よくないことです。

 

発達障害をもっていても、育て方で社会適応が違うということも知っておかなきゃいけないと思います。何でも発達障害のせいにしてはいけません。

 

というわけで、誰かの何かのお役に立てればとも思い、私の子育てについて、記録しておこうと思います。