それは合理的配慮なのか?
宮古島の海です。
日焼け止めのCMに出てくるような海だ〜と思いながら見ました。
本格的な夏ですね。
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仕事場で、ディスレクシアの子どものことを話しました。
その子は読み書きに困難さがあるので、親は教育センターの先生とも相談して、iPatを学校で使うようにして、板書のときとか黒板に書いてあることを写真にとり、ノートに書きやすいようにしてやってはどうか・・・・と考えているようでした。ところが校長にそういうのは前例がないからできないと言われたようで、ドクターに意見書を書いてほしいということでした。
でも、ドクターは、成績はそれなりに取れているのを知って、その必要はないだろうと言われました。
ドクターは日頃からYouTubeを見ることとかをすごくすすめる方なので、どうしてこの件は反対したのか尋ねてみました。
理由は3つ
①学校でiPatを使うには、支援できる先生が必要。校長からして理解がないのに無理やり導入しても活用できないだろう。学級の先生もこの子の困難さを理解できていないようだから、これを使うことによって周りの子たちからいじめられるかもしれない。
②本人は読み書きには困難さがあるが、それなりの成績が取れているということは、聞いて学習する力を自分なりに身につけてきていると思う。自分なりの学習スタイルがあるわけで、それを認めてやったほうがいい。だいたい板書はiPadを使ってしなければならないほど必要なことなんだろうか?板書を写真撮ったらもう書かなくてもいいでしょう。それが合理的配慮じゃない?聞いて記憶できてそれでいいでしょう。
③iPadを使うなら家でしたほうがいい。今後社会に出た時には自分の困難さをうまく乗り切れるように。
そして、学校というところがあまりに同じやり方、同じ価値観をもとめていることに疑問を投げかけられました。
足し算でもやり方はいろいろあるけど、教科書通りにさせようとする。指使うのを先生は嫌がるけど、速く指使えるようにしたほうが本人的にはいいかもしれないのに・・・。
ということでした。
なるほど。
先生の言われることはよくわかります。
学校は同じやり方同じ価値観の共有を強く求めるところがあります。
私もユッキーのことでとても苦労しました。
でも、
もし本人に、みんなと同じように少しでも楽に板書したいという思いがあるのなら、iPadをつかってもいいのじゃないかな?
大事なのは周りの理解でしょうね。
私のいた学校は弱視の子どももいたから、数人使ってましたけどね。
だれかがどこからか穴を広げていかないと、支援の理解は広まっていかないとも思います。