ユッキー17:みくちゃん母ちゃんの言葉を思い出しながら・・・・
なんと、昨日ユッキーから電話がありました。滅多に電話などしない子なので、悪い知らせかとドキドキしてしまいます。ユッキーは31歳になったけど、いまだに、何かやらかすんじゃないかと心の奥底では心配している母です。
「いやー母の日(1日遅れでしょう〜)だったからちょっと電話してみた。」ということで、ホッ!
というか、初めてじゃない?こんなこと。
東京のハザードマップで真っ赤なところに住むのを心配している母に、相変わらず「大丈夫、大丈夫。」を繰り返すユッキーでした。
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1年生の時のことに話を戻します。
友達と仲良くできたり掃除を頑張ったりしたかと思えば、順番抜かしをしたり、友達の物を破いたり・・・。数字カードを100までなんか並べないとひっくり返ったり字の書き直しをしないと言って遊んだり。
先生は毎日丁寧にお手紙をくださり、母は一喜一憂しておりました。
そういえば、ユッキーが1年生の時にお隣のクラスの担任だったN先生と、最近英語の会で出会う機会がありました。妹の話(彼女に2年生の時に担任してもらった)をしていたら、カナダ人の先生が、「いい子だった?」と尋ねてきて、N先生は「女の子はいい子でした。」と説明していました。それって暗に兄の方は大変だったってことよね〜。と言い方から思ってしまいました。そして、ユッキーの今の写真を見せたら、「まあ、立派になって〜。」といいつつも、大丈夫か?・・・て顔。
やっぱしね〜。1番大変だった頃を知ってるから・・・・・あはは・・・
大変だった頃、私がよく思い出していたことは、みくちゃんママのこと。
みくちゃんは、私が東京で新任の頃に担任していた6年生の子どもです。
言葉のない自閉症の大きな女の子でした。
癇癪をおこしては玄関の入り口のガラスも蹴って割るようなパワフルな女の子でした。
当時は養護学校義務化になった次の年で、東京都は早くから養護学校対象の子どもも障害児学級に入れていました。
みくちゃんはかなり知的に重度のお子さんで、育てるのは大変だったと思います。
みくちゃん母ちゃんは、家業の八百屋を営みながら、家族の世話(特にお姑さん)やみくちゃんを育てることで大変だったと思うけど、とても愛情溢れるやさしいお母ちゃんでした。
みくちゃんが卒業するお別れ会の時に、お母さんがみんなにお話をしてくれました。
「わたしは、みくが小さい頃、何度もビルの屋上とか一緒に行って、二人でここから飛び降りたいと思いました。こんな子が生まれたのはあんたのせいだとお姑さんにも何回も言われました。でもある時星を見ながら思ったんです。この子はわたしじゃないと育てられないと思って、神様がわたしに授けたんだと。いろいろあったけど、この子のおかげで、いろんないい人たちにも先生方にも出会えました。これからもこの子と頑張ります。」
この時のみくちゃん母ちゃんの話は、わたしの心の支えになりました。
みくちゃん母ちゃん。わたしも頑張るよ・・・・と思って、毎日踏ん張っていました。
今思えば、ユッキーたちのおかげで今の私があると思います。私が教師のかたわら、勉強会に出かけて支援教育の勉強をしてきたことや、臨床発達心理士の資格を取ろうと思ったこと。同じようなお母さんたちを応援できればと思って今の心理士の仕事についたこと。新たに先生を目指す人たちのために、私の経験を語りたいと思ったこと。・・・・
苦労して子育てしたことで、私も育ちました。
ありがとう。