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ニャンチママの子育て日記

発達障害だったかなと思う子どもたちの子育て回顧日記

ユッキー11:先生からのお手紙

 担任の先生は、わたしより若い女の先生で、とても几帳面そうでした。どんなに忙しくても連絡帳のお返事はとても丁寧な字で感心していました。

 不器用で処理能力の困難さを持つユッキーでしたが、1年生のはじめはそれなりに学校では頑張っていたようです。

 私たちの住む県では1学期、2学期と個人懇談があって、通知表は懇談しながら親に渡されるようなシステムになっています。でも、1学期の終わりの懇談は、先生が怪我をされて、行われず、学校での具体的な話を聞くことができませんでした。

 2学期は運動会など大きな行事があり、それも何とか頑張っていたので、家ではことごとく駄々をこねていても何とか外では保育園のときのようにやっているのだろうと安易に思っていました。

 

 11月になって、頑張って書いていた連絡帳の字が乱雑な読めない字に変わっていきました。そんな頃、読書感想文のクラス代表になって、原稿用紙に小さな字で3枚も清書しなくてはならなくなり、それは彼にすごくストレスのかかる苦痛な出来事だったのではないかと思います。その頃からユッキーの様子が特に落ち着かないくなっていきました。

 

11月11日 先生からの連絡

 2年生とのお祭りでは、竹とんぼをたくさん作って店を出し、よく頑張っていました。音楽会の練習ではナレーターを頑張っています。でも根は気が小さいのか、ややもじもじしながらも、一生懸命頑張っています。

 ただ、製作中、練習中、なかなか自分の考えが強く、他の人から注意を受けても素直になれないことがあります。本人にはわざわざしかられることはしないように、注意を受けたら直すように言うのですが、これも個性と思いながらも・・・・。ついつい名前を呼ぶことが多くなって申し訳ないなあと思っています。

 ユキくんの良いところを伸ばせるよう、どのように指導していったら良いかと考えています。

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 学校でも家と同じような様子が出ていることにちょっと驚きました。

 その日、夜に先生にお電話をし、いろいろご心配をおかけしていることを謝り、詳しくは連絡帳に書くということをお話ししました。

 

 母から先生へ

 昨日は遅くにお電話しましてすみませんでした。ユキは、赤ん坊の頃には運動に対する意欲のない子どもで、寝返りも歩くのも意欲がなくて随分心配し、気をつけて体を使わせるようにしてきました。手先を使うことなどもあまりしたがらなかったのですが、この頃はそういう点でも意欲がみられるようになってきたので、うれしく思っています。でも反面、ユキには嫌なことを強制してやらせたこともあるので、意固地な性格を助長してしまったのかもしれないなあと反省しています。

 毎日の生活を振り返ってみても、ユキには小言ばかりが多くて、なかなかほめてあげられず、いじけて素直になれないのだろうなあと思います。

 小さい頃からの成長の様子から考えたら、他の人にとっては苦もなくやれることが、ユキにとっては何倍も努力がいることなのだろうと思います。

 そう思ってユキを理解して、なるべく認めてあげるように、情緒が安定するように親として努力していきたいなあと思っています。

 先生にはいつも大変お気遣いいただいてうれしく思っています。これからもお手数をおかけするかと思いますが、よろしくお願いいたします。

 

 

11月13日 先生から

 お電話、お手紙有難うございました。私も連絡帳に書いたものどうか悩みつつ、書いた後もつまらないことを書いてしまったと後悔しておりましたが、お話しを伺って、霧が晴れたような気がしました。

 自分の思うように行動し、活き活きと活動するユキくんは、トムソーヤーみたいで、見ていると本当に楽しいです。でも、集団の中になると、みんながきちんとしている場合等には、少し変わっているなあと思えることもあります。学校教育の中で、ゆとりゆとりと言われるわりには、日々年々行事に追われ、教師の心にどんどんゆとりがなくなっていくようです。心にゆとりを忘れず、子どもたちを暖かく見守ってやりたいものだと思います。

 今日は時間やチャイムにとらわれず、公園でドングリや木の実、落ち葉を探したり拾ったりしました。そんなときは、ユキくんは実にいきいきしています。

 指導が行き届かないことが多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

 

 25年前の話です。まだ発達障害なんて診断名がなく、特別支援教育やインクルーシブなんてことはまったく教育界にはなかった頃の話です。

 今は、こんなタイプの子どものこのような話はどこでもあるけれど、当時は珍しいことでした。私も特殊教育をやっていましたが、自分の子どもの状態をどうとらえて、どう接していくことがよいのか、本当に悩んでいました。

 先生を味方につけて、一緒に頑張ってもらうしかない。

 そう思った母でした。

 

 しかし、このあとも、堰が切れたようにいろいろな問題が噴出していくるのでした。