ニャンチママの日記

発達障害の子どもたちの子育てと教育についてのブログです

ユッキー9:ママも発達障害だった?

ユッキーが1年生のときの話になる前に、ママのことを少し…

 

昨日、勤め先の病院のカンファレンスがあって、ウツになりやすい人の話がでました。自分がこういうふうになりたい、なるべきと思って頑張り、一所懸命にそれに向かう。自分では頑張れる、まだ大丈夫と思う・・・けれど、体の方は悲鳴をあげる。そして気が付いたらウツになってる。・・・・・という人たちの中に、やっぱり発達障害の特性を持つ人が割合として多いのでは?という話でした。

 

私だわ・・・・・

 

私は自分の中にうっかりミスの多さ、おとなしいけど不注意傾向が多いというのは気が付いていたけど、自閉傾向については気づいていないところがありました。

 

思い起こせばあったよね。

小学校1年生のときに、「遊んでいるひよこは何匹ですか?(先生は中と外に分けて考えていた)」と先生に尋ねられて、私は餌をついばんでいるひよこを、頑として「遊んでない!」と泣いて言い張った。(参観日に)・・・という逸話。(マイルール曲げない)

 

トランプをして負けると、悔しくていつも泣いていた。「泣かんでもよかたい。」といつも父に言われていました。(負けるのが認められない。よく言えば負けず嫌いですけど)

 

転校して馴染めなくて、1年間泣いて暮らした。中学になった時も高校の時も大学の時も、はじめはよくても6月頃に必ずブルー(環境の変化に弱く、切り替えが難しい)。大学のときなど、東京から実家にに週間ぐらい帰省してました。両親は何も言わずに家に置いててくれたけど、わたしが環境の変化に弱いとわかっていたのでしょうね。

 

6年生の時、友達5人で先生の家に泊まりに行ったことがありました。その時作ってくださった野菜炒めにベーコンが入っていて、その匂いを嗅いだ時、「いやだ。食べられない。」と思った通りに口にしてしまいました。他の大人っぽい友達にこそっと呼ばれ、「先生がせっかく作ってくれたんだから、そんなこと言っちゃダメだよ。」とたしなめられ、そのとき初めて、相手の気持ちを考えて喋らないといけないということに気づきました。(他人の気持ちを察するところの弱さ)

 

挨拶もそうです。近所の方に挨拶されたら返していたけど、中学になったある日、親から「近所の人に会ったら、自分から挨拶するものなのよ。」と教えられ、ああそうなんだ・・・・とやっとルールがわかった。・・・・というような調子。(状況を察する力の弱さ。)

 

学校の先生として、立派に授業をしなきゃいけない。準備もしなきゃいけない。記録もとってなきゃいけない。

母としてちゃんと子供の世話もし、遊び相手もして、立派に育てなきゃいけない。

と自分の力量以上のことをしようとしていました。

 

もともと抜けたところも多い人なんだから、無理な話です。

 

この『うつ』の経験で、自分の限界を知り、生き方の軌道修正をしました。というか、全然自信を失ってしまったのですが・・・・。

 

うつになった年度の終わりに、本当は退職しようかと思っていましたが、校長の熱心な勧めもあり、一度行ってみたかった養護学校(支援学校)に移動して新年度を迎えました。

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ユッキーは1年生になりました。