ニャンチママの日記

発達障害の子どもたちの子育てと教育についてのブログです

ユッキー23:ハラハラ高校受験

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私が作った多肉植物の新作です。

就労支援B型の事業所で利用者さんがお世話しながら販売しています。

 

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ユッキーは中3になり、いよいよ高校受験。

そんな時、「高校には行かないよ。」と言い出しました。

「高校に行かなくて何するの?」

「何したって生きれるさ。牧場で働くのもいいかも。」

などと言う。(夏にオーストラリアでファームステイをしていたのでそう思ったらしい)

先の見通しが持てないユッキー。何でも大丈夫と言うけど、世間はそんな甘くないよ。

そう思いながらも母はこう言いました。

「いいんじゃない。でも牧場で働くとか経営するとか考えたら、やっぱり高校は出てた方がいいと思うよ。」

 

かくして、母に丸め込まれ、高校受験はすることになりました。

 

しかし、問題は内申書。

ノート点は悪いし(だから成績は良くない 周りが良すぎるし)、遅刻も多すぎ。(ここはアジアでも治安がいいもので スクールバスを降りて自分で路線バスで通っていた。)

地元の公立高校は小さな市なので、試験の点数はクリアできても、内申書が・・・・。

その辺、母はとても心配していたのだけど、本人は例のごとく「大丈夫だよ。」を繰り返し、また遅刻。

 

母ばかりハラハラしながら日本へ送り出しました。空港へ見送りに行った帰り道、母はウトウトしてしまい、降りる電車の駅を間違えるほど疲れ果てていました。トホホ・・・・

 

結果、高校は何とか合格。

 

中学の先生は内申書が悪いと高校には合格しないと脅していましたが、高校の先生している友達に内緒で聞いてみたら、試験の点数の高い順から取り(一応進学校なので)、ギリギリの子しか内申書はみないということで、セーフだったのかなと思いました。

 

お先にユッキーは帰国。無事高校生になりました。

 

「何か日本の高校はつまんない。インター(ナショナルスクール)に行った方がよかったかな。」

しばらくして、こんなことを言っていました。

インターに行ったら?・・・・と話をしたこともあったのです。こんなハチャメチャな人は日本は合わないのかも・・・とも思っていたので。

 

もし、インターに行ってたら、今頃、どこで何してたかね〜

 

この後、また、ユッキーは牧場で働くと言いだしたのです。

 

 

 

ユッキー22:闇のホームページ事件

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お庭はもう夏の花が咲き誇っています。

でも、来週あたりは梅雨入りでしょうか。

 

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ユッキーが中学2年生になった時に、我が家は夫の日本人小学校赴任でアジアのとある国に転居しました。

日本人学校は海外赴任する家庭の子どもたちが通うだけに、都会的な賢い子が多く、ユッキーの小難しい話にも合う人たちがいました。

 

楽しそうに中学校(その国は中学校は別にある)に通うユッキーでしたが、一週間も経たないうちに担任の先生から電話がかかってきました。また何かやったか〜??と思ったら、友達に殴られたとか。

友達同士でクイズ大会をやっていたようで、最後に残ったのがユッキーとM君。優勝決定戦でユッキーが解答し、ちょっと喜びすぎたようで、相手がムカつき殴ってきたようでした。

たまたま同じマンションに住んでいて、お母さんがすぐに電話で謝られてきたたのですが、M君は一人っ子で、いつも自分が一番・・・・という気持ちが強い子だとか。今までクイズ大会ではいつも優勝していたらしいので、悔しかったんでしょうと言われていました。話を聞くと、小さい頃から友達とのトラブルがいろいろあるらしく、お母さんが悩まれながら育ててきたとか。

ユッキーと同じ匂いがするなあと思いました。

 

ほどなく、二人は仲良くなり、一緒に学校に行ったり、つるんでよく遊んだりするようになりました。

 

中2の終わり頃、その事件は発覚しました。

 

「お子さんがホームページを作られているのを知っていますか?」と中学校の先生からの電話でした。

そのホームページは、中学校のホームページに見えないバナーが貼り付けられていて、そこから入るように作られていました。

ユッキーとM君が作ったもので、首謀者はユッキーのようでした。

 

内容は、先生の批判。文科省の批判。(読者も中学生に多くいたようです。中には外の人が気付いて、「おもしろい!」「がんばれ」なんてメールをくれていたりしてました。)

 

母への反抗は治まってきていたのですが、こんな方向に進むとは・・・・。

 

うちの夫婦とM君の夫婦と学校に呼び出され、こんこんと先生方に説教されました。

「家でパソコンに打ち込んでいるのに気づかなかったんですか?」

と母も責められました。

パソコンはリビングに1台あるだけで、何やら検索してネットを見ているなあとは思っていましたが、きっと私が寝てしまってからとか打ち込んでいたのだと思います。

 

ネットのマナーとかはきちんと教えないといけないと親として反省しましたが、子どもたちが書いていることにも一理あると私は思いました。

中学の先生たちは、ルールを勝手に振りかざし、子どもの意見をきちんと聞いてあげない人が多すぎる。(ちゃんと聞いてくださる人もいますが、割合的に少ない。)

平謝りしながらも、そこは主張して帰ってきました。

 

それから、中学校側も子どもたちと話し合いの時間をとってくれました。分かりあえたとは思えませんが・・・・・。

 

しかし、文科省に雇われている親の立場は全然考えられないんですから・・・・・。

相変わらず親の肝を冷やさすユッキーでした。

ルールこだわりの強い子の不登校

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PDDの子どもが不登校になることがあります。

今日、そのような子どものことが仕事場で話題になりました。

 

とっても真面目なタイプで、小学校低学年の頃は、先生の言うとおりにルールを守ろうと頑張ります。その頃は周りも先生に従順なんだけど、年齢が上がるにつれ、周りの子どもたちは、本音と建前を使い分けるようになります。その子は変わらず、同じようにルールを守ろうと他の子どもたちを注意するので、集団から浮いてきたりします。今までの基準がブレてきて、その集団が安心できる場でなくなってくる。

 

ある人が「こう子たちにとっては、学校に行くこともきついが行かないこともきついんです。学校に行くことがルールでもあるのだから。だったら学校という枠をとってやった方がいいんだ。通信教育もあるんだから。」と言っていました。

 

学校行けなくなった子どもに、無理やり登校刺激をしなくてもいいと思いますが、

私はこの子たちの「ルールこだわり」を和らげる関わり方は必要なんじゃないかと経験から思っています。

 

 

「こだわり」をそのま放っておくと、しだいにこの子たちは自分で自分を苦しめていくように思います。結局は引きこもってしまったり、精神的な問題が大きくなったり・・・。

 

学校は行けなくても、自分なりの社会の関わり方を見つけて生きていけるようにするためには、こだわりの呪縛から解いてあげることが必要なんじゃないかなあ。

 

それを心がけて育てた人たちは、だんだん社会適応力が高まったり、人の気持ちを考えようとするようになってきているように思います。(そうした時としなかった時と比べられないけれど、少なくとも不登校にはなってないですよ。)

 

 

 

 

 

 

 

ユッキー21:小学生〜中学生へ

先週の金曜日に通級の先生方の勉強会があり、基礎講座で発達障害について話をしてきました。通級の先生方も入れ替わりが激しく、通級担当して1〜2年という人たちが一番多いです。短い時間に何をしたらいいのか悩まれているようです。理論的なことはさらっと流し、いろいろと手作り教材を見せたり実践を話したりして、イメージを持ってもらいました。

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その子に合わせて絵を描きながら社会ルールを教えていました。ファイルして「◯◯ちゃんのルールブック」などタイトルをつけて持たせていました。

通常学級も巻き込んでやっていた小集団SST。双方の子どもたちにとってとても効果的な学習だったと思います。

5〜6年前からいろいろなところでこの学習については発表してきました。今回県内で4校ぐらいの通級で始めていたので(通級内小集団ですが)、「いい感じ!」と嬉しく思いました。もっと広がるといいなあ。

 

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さて、ユッキーの話にもどります。

 

 

小学校低学年のころは、集団を乱し、ルールが守れなくて大変だし、マイルールを曲げられなくて、周りの子どもたちや母との衝突も多かったユッキーですが、学年が上がるにつれ集団にも合わせられる時が増えました。

 

私の方も扱いが上手くなり、言い張る時にはしばらく無視とかできるようになって、気分が向いた時に母の意向になんとなく向けられるテクニックを身につけてきました。

 

先生と合う合わないは激しかったです。先生と合わない年は、いじめられることも多く、子供部屋の壁紙がビリビリになっているのを見て、ストレス溜まってんだなあと思っていました。

 

でも、6年生のときに担任してもらった先生は、とても素敵な先生で、その頃も机の周りも中も物が散乱していて片付けられないやつでしたが、「まあ、大人になったら、いい秘書がつけばいいんですよ。嫁さん片付け上手な人もらって・・がっはっはー」みたいに言ってくれる方でした。

 

いいとこをとても褒めてくれて、他の子ども達もみんな満足感が高かったので、ユッキーもいじめられることなく、自分の良さをのばしていけました。この頃、テストも100点が多くなり、落ち着くと学力も伸びるんだなあと思いました。

 

運動は苦手だったけど、幼児の頃から続けていたスイミングのおかげで市内水泳大会平泳ぎ1位(一人一種目しかでれないので取れた)になって、夢のようでした。担任は体育が上手だったので、側転なんかも教えてもらってできるようになりました。集団に合わせる競技はからっきしダメだったけど、個人の競技は真面目にやればできると自信がついてきたのではないでしょうか。

 

中学生になってからは、ノート点というのがあって、書くのが苦手なこの人にとっては鬼門でした。

中学の先生は、ノート点に贔屓しすぎなんじゃないかと思います。

書くのが苦手でも、ちゃんと聞いて覚える子もいる。だからテストではいい成績をとる。でも、それはあまり評価されない。

内容は解ろうがわかるまいが、黙々と友達のノートを写した子どもの方が評価される。手の作業を真面目にしたことが評価されるのです。

 

極めつけは、ユッキーは体育のノートを出さなかったために、3学期の評価が1だったのです。マラソン大会は頑張り、10位だった(50人くらい中)のにです。

 

それは、あまりに信じられない話でした。先生は子ども達に「ノートを出さなかったら1にするぞ。」と脅していたようです。その手前、そうしたようです。

 

私はユッキーには「真面目にノートを出さないあなたが悪い。」・・・・と話はしました。遅れてでもいいので、ちゃんと書いて春休み中に出させました。(本人にはいい薬ですから)

 

その上でユッキーには内緒で、学校には抗議しました。

「マラソンを真面目に走らなかった子どもでもノートを出した子は1にはなっていない。10位になるように真面目に頑張って走った子(しかも鈍臭い我が子)がノートを出さなくて評価1というのはどういうわけかちゃんと教えてください。もし、要録(通知表は正式の評価ではなくこちらが本物)まで1にされるなら、教育委員会に訴えます。」と。

訳は教えてくれませんでしたが、「要録は1ではありません」という回答でした。担任は「体育の先生はそういうタイプの方なんです。」と平謝りでした。

 

ユッキー20:書くことの支援にパソコンを教えはじめる。

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私の住んでいる町も、気温が25度を超える日が多くなってきました。

スーパーからはイチゴが消えて、スイカが登場してきましたが、我が家のイチゴはやっとなり始めました。お花へ水撒きをしては、アリさんやナメクジ君に取られる前に庭先でパクパクいただいています。今年はさくらんぼもたくさん食べられたし、ブルーベリーもたくさん実をつけています。なり年ですね。子どもたちがいたら喜びそうです。

 

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ユッキーが4年生の頃からパソコンでワープロを教え始めました。

字はだいぶ書けるようにはなってきましたが、相変わらずノートの字はぐちゃぐちゃで読めたものではありません。喋るのはぼそっと結構面白いことを言うのに、文章にはできないので、パソコンを使えるようになると便利だろうと思ったからです。

 

我が家にはユッキーが生まれた頃(31年前)から、パソコンがあって、私たち夫婦は一太郎や花子をつかって学級通信やら書類を書いていて、かなりその頃にしてはパソコンに慣れ親しんでいたと思います。

 

ローマ字を覚えたので、ちゃんと指遣いはホームポジションで練習させ、少しずつ打てるようになってきました。印刷すると綺麗な文字なので嬉しかったようです。その頃からインターネットも盛んになり、ネット検索をして楽しんでもいたようです。

 

不器用でなかなか字を書くのが嫌な子にとっては、パソコンはとても有効な道具だと思います。(今はタブレットや携帯もあるし、音声入力もできてとても便利ですよね。)

 

中学になると、ワープロの方が素早く打てて、書き直しも簡単なので、作文の下書きとかしていたようです。

ユッキーは書かせてみるとなかなか上手な文章を書く子でした。

中学2年生からは、夫の転勤でアジアのある国に住んだのですが、その町で学校帰りに見かけた大きなねずみのことを作文(小説?)にして、独特の世界観で表現していました。友達からも文章においては一目置かれているようでした。ママ友から、「うちの子が文集を持って帰って、僕のは読まなくてもいいからユッキーのを読んでみて・・て言ってたよ。」なんて聞いて、親バカに喜んだものです。

 

この時は、その後パソコンのことで事件が起きるなんて夢にも思ってもいませんでした。

 

ユッキー19:可愛い子には旅をさせよう

熊本の祖父母の家に兄弟3人で電車に乗って行かせたことがありました。多分、2年生の時だったと思います。妹たちは1年生と年中さん。今思えばちょっと無謀だったでしょうか。

 

ユッキーは他人を思いやるということが普段あまりなかったので、妹たち二人を連れて行くことで、ちょっとは兄としての自覚を持って欲しいと思ったからです。

 

その頃はまだブルートレインが走っていて、我が家のある街に朝になって到着するブルートレインに乗せれば、熊本にはお昼近くに着くのでした。私が電車に乗るまで見送り、母に熊本駅のホームで待ってもらって、

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電車に乗って4時間くらいの旅だったと思います。

 

後から聞いてみたら、3人は喧嘩することもなく、まあまあお行儀よく(本人たちが言うのですから、本当はどうだか???でしたが)自分達の持っていたおもちゃや本で遊んだり、景色を眺めたり、前に座っていた大人の人たちに相手にしてもらったりして無事熊本にたどり着いたようです。妹達に聞いたら、ユッキーはちゃんと決めていた博多あたりで妹達におやつを分けてあげたようでした。

 

学校では相変わらずいろいろなことがありましたが、子どもにとっては親から離れて小旅行を成し遂げたということはやはり大きな自信や喜びにつながるようでした。両親や両祖父母からもずいぶんほめられましたからね。

 

それから、ブルートレインでもう1回。新幹線乗り継ぎでも1回行かせてみました。新幹線乗り継ぎの時にはどっちに行くのかわからなくなって、大人の人たちに尋ねたりしながら乗ったようです。

「わからなかったら、誰かに尋ねたらいいんだ。」というような生活の知恵も、体験の中から学んでいくものなんですよね。

いつもはそれぞれ一人っ子のようなマイペースな人たちですが、親から離れるとそれなりに仲良く協力していたようです。3人だからこんな冒険もできるということも知って欲しいと思っていました。

 

高校を卒業してから、3人が割とすんなり親離れして一人暮らしを始めたことや、外国でも一人で出かけるバイタリティーを持っているのは、やっぱり小さい頃からなるべく親離れして自分で動くことの自信をつけさせるようにしてきたからかな・・・と思ったりしています。

 

 

ユッキー18:(2年生)勝手に自分の教育過程を歩む。

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私の勤めている病院のドクターは、よくこの図を使って発達障害の説明をします。

発達障害は、端に位置している子どもたちで、少数派であってそれが悪いわけではない。今の育児のやり方や教育が真ん中付近の子どもたちに合わせたやり方をしているのだから、少数派であるこの子どもたちには別の育て方や別の教育をしてもいいということだ・・・・と。

つまり診断をするということは、通常の育児や教育をしなくてもいいんだよというお墨付きなのだそうです。

ドクターは「世界を変えていくのはこの少数派の人たちなんだよね。」とも言っています。

 

今丁度、NHK発達障害についての番組をやっています。

みんなによく知ってもらって、少数派の彼らが生きやすい世界になってほしいものです。

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ユッキーにもお墨付きが欲しかったです。

 

その頃は診断してくださる先生はいなかったのですが、ユッキーは勝手に自分の教育過程を歩んでいました。

 

1年生のときの先生は、みんなと同じことをさせようとして親子して四苦八苦していましたが、2年生の先生は先生になったばかりで、ユッキーだけでなく、やんちゃな子ども把握することができず、学級崩壊状態でした。

参観日には、先生が黒板に何か書き始めると、後ろでは鉛筆や消しゴムが飛んでいく状態でした。

 

でも、その方がユッキーにとっては居心地がよかったようです。

 

1学期末の懇談会のときにどんな様子か尋ねたら、「後ろにある学級文庫を全部読んだと思います。」という話。   ???

世界の童話全集のような分厚い本が40冊ほどありました。授業中に教科書も出さずに本を読み続けていたようです。「え〜教科書ぐらい出させてください…」と言いましたが、内心、『うるさい教室の中で、この集中力はすごい。』と思ってしまいました。

相変わらずノートは取らないし忘れ物もたくさんある人でしたが、基本的な学習の技能や知識はついてはいたので、まあいいか〜と思っていました。

自分のやりたい活動は、女の子のグループの中でも全然へっちゃらな相変わらずのマイペースぶり。

 

しかし、親子ともストレスからちょっと解放された2年生生活でした。