ニャンチママの日記

発達障害の子どもたちの子育てと教育についてのブログです

ルールこだわりの強い子の不登校

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PDDの子どもが不登校になることがあります。

今日、そのような子どものことが仕事場で話題になりました。

 

とっても真面目なタイプで、小学校低学年の頃は、先生の言うとおりにルールを守ろうと頑張ります。その頃は周りも先生に従順なんだけど、年齢が上がるにつれ、周りの子どもたちは、本音と建前を使い分けるようになります。その子は変わらず、同じようにルールを守ろうと他の子どもたちを注意するので、集団から浮いてきたりします。今までの基準がブレてきて、その集団が安心できる場でなくなってくる。

 

ある人が「こう子たちにとっては、学校に行くこともきついが行かないこともきついんです。学校に行くことがルールでもあるのだから。だったら学校という枠をとってやった方がいいんだ。通信教育もあるんだから。」と言っていました。

 

学校行けなくなった子どもに、無理やり登校刺激をしなくてもいいと思いますが、

私はこの子たちの「ルールこだわり」を和らげる関わり方は必要なんじゃないかと経験から思っています。

 

 

「こだわり」をそのま放っておくと、しだいにこの子たちは自分で自分を苦しめていくように思います。結局は引きこもってしまったり、精神的な問題が大きくなったり・・・。

 

学校は行けなくても、自分なりの社会の関わり方を見つけて生きていけるようにするためには、こだわりの呪縛から解いてあげることが必要なんじゃないかなあ。

 

それを心がけて育てた人たちは、だんだん社会適応力が高まったり、人の気持ちを考えようとするようになってきているように思います。(そうした時としなかった時と比べられないけれど、少なくとも不登校にはなってないですよ。)

 

 

 

 

 

 

 

ユッキー21:小学生〜中学生へ

先週の金曜日に通級の先生方の勉強会があり、基礎講座で発達障害について話をしてきました。通級の先生方も入れ替わりが激しく、通級担当して1〜2年という人たちが一番多いです。短い時間に何をしたらいいのか悩まれているようです。理論的なことはさらっと流し、いろいろと手作り教材を見せたり実践を話したりして、イメージを持ってもらいました。

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その子に合わせて絵を描きながら社会ルールを教えていました。ファイルして「◯◯ちゃんのルールブック」などタイトルをつけて持たせていました。

通常学級も巻き込んでやっていた小集団SST。双方の子どもたちにとってとても効果的な学習だったと思います。

5〜6年前からいろいろなところでこの学習については発表してきました。今回県内で4校ぐらいの通級で始めていたので(通級内小集団ですが)、「いい感じ!」と嬉しく思いました。もっと広がるといいなあ。

 

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さて、ユッキーの話にもどります。

 

 

小学校低学年のころは、集団を乱し、ルールが守れなくて大変だし、マイルールを曲げられなくて、周りの子どもたちや母との衝突も多かったユッキーですが、学年が上がるにつれ集団にも合わせられる時が増えました。

 

私の方も扱いが上手くなり、言い張る時にはしばらく無視とかできるようになって、気分が向いた時に母の意向になんとなく向けられるテクニックを身につけてきました。

 

先生と合う合わないは激しかったです。先生と合わない年は、いじめられることも多く、子供部屋の壁紙がビリビリになっているのを見て、ストレス溜まってんだなあと思っていました。

 

でも、6年生のときに担任してもらった先生は、とても素敵な先生で、その頃も机の周りも中も物が散乱していて片付けられないやつでしたが、「まあ、大人になったら、いい秘書がつけばいいんですよ。嫁さん片付け上手な人もらって・・がっはっはー」みたいに言ってくれる方でした。

 

いいとこをとても褒めてくれて、他の子ども達もみんな満足感が高かったので、ユッキーもいじめられることなく、自分の良さをのばしていけました。この頃、テストも100点が多くなり、落ち着くと学力も伸びるんだなあと思いました。

 

運動は苦手だったけど、幼児の頃から続けていたスイミングのおかげで市内水泳大会平泳ぎ1位(一人一種目しかでれないので取れた)になって、夢のようでした。担任は体育が上手だったので、側転なんかも教えてもらってできるようになりました。集団に合わせる競技はからっきしダメだったけど、個人の競技は真面目にやればできると自信がついてきたのではないでしょうか。

 

中学生になってからは、ノート点というのがあって、書くのが苦手なこの人にとっては鬼門でした。

中学の先生は、ノート点に贔屓しすぎなんじゃないかと思います。

書くのが苦手でも、ちゃんと聞いて覚える子もいる。だからテストではいい成績をとる。でも、それはあまり評価されない。

内容は解ろうがわかるまいが、黙々と友達のノートを写した子どもの方が評価される。手の作業を真面目にしたことが評価されるのです。

 

極めつけは、ユッキーは体育のノートを出さなかったために、3学期の評価が1だったのです。マラソン大会は頑張り、10位だった(50人くらい中)のにです。

 

それは、あまりに信じられない話でした。先生は子ども達に「ノートを出さなかったら1にするぞ。」と脅していたようです。その手前、そうしたようです。

 

私はユッキーには「真面目にノートを出さないあなたが悪い。」・・・・と話はしました。遅れてでもいいので、ちゃんと書いて春休み中に出させました。(本人にはいい薬ですから)

 

その上でユッキーには内緒で、学校には抗議しました。

「マラソンを真面目に走らなかった子どもでもノートを出した子は1にはなっていない。10位になるように真面目に頑張って走った子(しかも鈍臭い我が子)がノートを出さなくて評価1というのはどういうわけかちゃんと教えてください。もし、要録(通知表は正式の評価ではなくこちらが本物)まで1にされるなら、教育委員会に訴えます。」と。

訳は教えてくれませんでしたが、「要録は1ではありません」という回答でした。担任は「体育の先生はそういうタイプの方なんです。」と平謝りでした。

 

ユッキー20:書くことの支援にパソコンを教えはじめる。

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私の住んでいる町も、気温が25度を超える日が多くなってきました。

スーパーからはイチゴが消えて、スイカが登場してきましたが、我が家のイチゴはやっとなり始めました。お花へ水撒きをしては、アリさんやナメクジ君に取られる前に庭先でパクパクいただいています。今年はさくらんぼもたくさん食べられたし、ブルーベリーもたくさん実をつけています。なり年ですね。子どもたちがいたら喜びそうです。

 

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ユッキーが4年生の頃からパソコンでワープロを教え始めました。

字はだいぶ書けるようにはなってきましたが、相変わらずノートの字はぐちゃぐちゃで読めたものではありません。喋るのはぼそっと結構面白いことを言うのに、文章にはできないので、パソコンを使えるようになると便利だろうと思ったからです。

 

我が家にはユッキーが生まれた頃(31年前)から、パソコンがあって、私たち夫婦は一太郎や花子をつかって学級通信やら書類を書いていて、かなりその頃にしてはパソコンに慣れ親しんでいたと思います。

 

ローマ字を覚えたので、ちゃんと指遣いはホームポジションで練習させ、少しずつ打てるようになってきました。印刷すると綺麗な文字なので嬉しかったようです。その頃からインターネットも盛んになり、ネット検索をして楽しんでもいたようです。

 

不器用でなかなか字を書くのが嫌な子にとっては、パソコンはとても有効な道具だと思います。(今はタブレットや携帯もあるし、音声入力もできてとても便利ですよね。)

 

中学になると、ワープロの方が素早く打てて、書き直しも簡単なので、作文の下書きとかしていたようです。

ユッキーは書かせてみるとなかなか上手な文章を書く子でした。

中学2年生からは、夫の転勤でアジアのある国に住んだのですが、その町で学校帰りに見かけた大きなねずみのことを作文(小説?)にして、独特の世界観で表現していました。友達からも文章においては一目置かれているようでした。ママ友から、「うちの子が文集を持って帰って、僕のは読まなくてもいいからユッキーのを読んでみて・・て言ってたよ。」なんて聞いて、親バカに喜んだものです。

 

この時は、その後パソコンのことで事件が起きるなんて夢にも思ってもいませんでした。

 

ユッキー19:可愛い子には旅をさせよう

熊本の祖父母の家に兄弟3人で電車に乗って行かせたことがありました。多分、2年生の時だったと思います。妹たちは1年生と年中さん。今思えばちょっと無謀だったでしょうか。

 

ユッキーは他人を思いやるということが普段あまりなかったので、妹たち二人を連れて行くことで、ちょっとは兄としての自覚を持って欲しいと思ったからです。

 

その頃はまだブルートレインが走っていて、我が家のある街に朝になって到着するブルートレインに乗せれば、熊本にはお昼近くに着くのでした。私が電車に乗るまで見送り、母に熊本駅のホームで待ってもらって、

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電車に乗って4時間くらいの旅だったと思います。

 

後から聞いてみたら、3人は喧嘩することもなく、まあまあお行儀よく(本人たちが言うのですから、本当はどうだか???でしたが)自分達の持っていたおもちゃや本で遊んだり、景色を眺めたり、前に座っていた大人の人たちに相手にしてもらったりして無事熊本にたどり着いたようです。妹達に聞いたら、ユッキーはちゃんと決めていた博多あたりで妹達におやつを分けてあげたようでした。

 

学校では相変わらずいろいろなことがありましたが、子どもにとっては親から離れて小旅行を成し遂げたということはやはり大きな自信や喜びにつながるようでした。両親や両祖父母からもずいぶんほめられましたからね。

 

それから、ブルートレインでもう1回。新幹線乗り継ぎでも1回行かせてみました。新幹線乗り継ぎの時にはどっちに行くのかわからなくなって、大人の人たちに尋ねたりしながら乗ったようです。

「わからなかったら、誰かに尋ねたらいいんだ。」というような生活の知恵も、体験の中から学んでいくものなんですよね。

いつもはそれぞれ一人っ子のようなマイペースな人たちですが、親から離れるとそれなりに仲良く協力していたようです。3人だからこんな冒険もできるということも知って欲しいと思っていました。

 

高校を卒業してから、3人が割とすんなり親離れして一人暮らしを始めたことや、外国でも一人で出かけるバイタリティーを持っているのは、やっぱり小さい頃からなるべく親離れして自分で動くことの自信をつけさせるようにしてきたからかな・・・と思ったりしています。

 

 

ユッキー18:(2年生)勝手に自分の教育過程を歩む。

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私の勤めている病院のドクターは、よくこの図を使って発達障害の説明をします。

発達障害は、端に位置している子どもたちで、少数派であってそれが悪いわけではない。今の育児のやり方や教育が真ん中付近の子どもたちに合わせたやり方をしているのだから、少数派であるこの子どもたちには別の育て方や別の教育をしてもいいということだ・・・・と。

つまり診断をするということは、通常の育児や教育をしなくてもいいんだよというお墨付きなのだそうです。

ドクターは「世界を変えていくのはこの少数派の人たちなんだよね。」とも言っています。

 

今丁度、NHK発達障害についての番組をやっています。

みんなによく知ってもらって、少数派の彼らが生きやすい世界になってほしいものです。

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ユッキーにもお墨付きが欲しかったです。

 

その頃は診断してくださる先生はいなかったのですが、ユッキーは勝手に自分の教育過程を歩んでいました。

 

1年生のときの先生は、みんなと同じことをさせようとして親子して四苦八苦していましたが、2年生の先生は先生になったばかりで、ユッキーだけでなく、やんちゃな子ども把握することができず、学級崩壊状態でした。

参観日には、先生が黒板に何か書き始めると、後ろでは鉛筆や消しゴムが飛んでいく状態でした。

 

でも、その方がユッキーにとっては居心地がよかったようです。

 

1学期末の懇談会のときにどんな様子か尋ねたら、「後ろにある学級文庫を全部読んだと思います。」という話。   ???

世界の童話全集のような分厚い本が40冊ほどありました。授業中に教科書も出さずに本を読み続けていたようです。「え〜教科書ぐらい出させてください…」と言いましたが、内心、『うるさい教室の中で、この集中力はすごい。』と思ってしまいました。

相変わらずノートは取らないし忘れ物もたくさんある人でしたが、基本的な学習の技能や知識はついてはいたので、まあいいか〜と思っていました。

自分のやりたい活動は、女の子のグループの中でも全然へっちゃらな相変わらずのマイペースぶり。

 

しかし、親子ともストレスからちょっと解放された2年生生活でした。

 

 

ユッキー17:みくちゃん母ちゃんの言葉を思い出しながら・・・・

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なんと、昨日ユッキーから電話がありました。滅多に電話などしない子なので、悪い知らせかとドキドキしてしまいます。ユッキーは31歳になったけど、いまだに、何かやらかすんじゃないかと心の奥底では心配している母です。

「いやー母の日(1日遅れでしょう〜)だったからちょっと電話してみた。」ということで、ホッ!

というか、初めてじゃない?こんなこと。

 

東京のハザードマップで真っ赤なところに住むのを心配している母に、相変わらず「大丈夫、大丈夫。」を繰り返すユッキーでした。

 

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1年生の時のことに話を戻します。

友達と仲良くできたり掃除を頑張ったりしたかと思えば、順番抜かしをしたり、友達の物を破いたり・・・。数字カードを100までなんか並べないとひっくり返ったり字の書き直しをしないと言って遊んだり。

先生は毎日丁寧にお手紙をくださり、母は一喜一憂しておりました。

 

そういえば、ユッキーが1年生の時にお隣のクラスの担任だったN先生と、最近英語の会で出会う機会がありました。妹の話(彼女に2年生の時に担任してもらった)をしていたら、カナダ人の先生が、「いい子だった?」と尋ねてきて、N先生は「女の子はいい子でした。」と説明していました。それって暗に兄の方は大変だったってことよね〜。と言い方から思ってしまいました。そして、ユッキーの今の写真を見せたら、「まあ、立派になって〜。」といいつつも、大丈夫か?・・・て顔。

やっぱしね〜。1番大変だった頃を知ってるから・・・・・あはは・・・

 

大変だった頃、私がよく思い出していたことは、みくちゃんママのこと。

 

みくちゃんは、私が東京で新任の頃に担任していた6年生の子どもです。

言葉のない自閉症の大きな女の子でした。

癇癪をおこしては玄関の入り口のガラスも蹴って割るようなパワフルな女の子でした。

当時は養護学校義務化になった次の年で、東京都は早くから養護学校対象の子どもも障害児学級に入れていました。

みくちゃんはかなり知的に重度のお子さんで、育てるのは大変だったと思います。

みくちゃん母ちゃんは、家業の八百屋を営みながら、家族の世話(特にお姑さん)やみくちゃんを育てることで大変だったと思うけど、とても愛情溢れるやさしいお母ちゃんでした。

みくちゃんが卒業するお別れ会の時に、お母さんがみんなにお話をしてくれました。

「わたしは、みくが小さい頃、何度もビルの屋上とか一緒に行って、二人でここから飛び降りたいと思いました。こんな子が生まれたのはあんたのせいだとお姑さんにも何回も言われました。でもある時星を見ながら思ったんです。この子はわたしじゃないと育てられないと思って、神様がわたしに授けたんだと。いろいろあったけど、この子のおかげで、いろんないい人たちにも先生方にも出会えました。これからもこの子と頑張ります。」

 

この時のみくちゃん母ちゃんの話は、わたしの心の支えになりました。

みくちゃん母ちゃん。わたしも頑張るよ・・・・と思って、毎日踏ん張っていました。

 

今思えば、ユッキーたちのおかげで今の私があると思います。私が教師のかたわら、勉強会に出かけて支援教育の勉強をしてきたことや、臨床発達心理士の資格を取ろうと思ったこと。同じようなお母さんたちを応援できればと思って今の心理士の仕事についたこと。新たに先生を目指す人たちのために、私の経験を語りたいと思ったこと。・・・・

 

苦労して子育てしたことで、私も育ちました。

ありがとう。

ユッキー16:マイブームは株価チェック

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今日は母の日、3番目のハーちゃんからカーネーションが届きました。女の子たちは、毎年何かしら母の日にプレゼントしてくれます。ユッキーは長年母の日にも誕生日にも何も音沙汰なしだったのですが、ここ3年、誕生日にプレゼントをくれています。すごい成長です(うれし涙)

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ユッキーの1年生の頃のマイブームは、株価チェックでした。(やっぱりアスペっぽい)

おじいちゃんが株をやっていて、毎日のように株価を見ているのを見て、質問攻め。株の仕組みが分かったんだか分かってなかったんだか・・?ではありましたが、おじいちゃんの株がいくら上がったんだとか、今日はどこそこの会社の株がすごく上がっただの下がっただの、ジージと話していました。孫可愛さにジージはでれでれで、ユッキーは賢いと喜んでいました。

 

2年生の頃はマイブームは去っていたのですが、中学生の頃は、証券会社のやっている子ども向けの仮想株価ゲームみたいなのをやっていて、「僕は20万円を300万にした。」みたいなことを言っていたように思います。

 

ずっとずっと後になり、就職試験にことごとく落ち、自主留年してもう1年就活をし、やっと受かった会社が証券会社で、小学校1年生の時のことを思い出して笑ってしまいました。証券会社の営業マンか・・・・。

 

その頃、担当していたアスペっぽい子どものお母さんとお話しする機会がありました。お母さんが言われるのには、息子は父親とそっくりだと。ちなみにお父さんは何の仕事をされているのか尋ねると、何かの大きな機械を売る営業マンだということでした。それが凄腕の営業マンで売り上げが凄いんだとか。その機械の素晴らしさをとうとうと喋って相手をその気にさせるそうです。売れなかったら、その素晴らしさをわからない相手が悪いと落ち込むこともないのだそうです。なるほど、営業というのは、こういうタイプの人には向いているのかもしれない・・・・と思いました。

 

証券会社の営業マンは、相手の気持ちを察せないほうが、うまくやれるかもと思いました。

しかし、ユッキーは就職して丸1年して何と「うつ」っぽくなってしまったのです。「小さなお店をやってるおばあちゃんが、あんたが勧めるならそのファンド買おうかな・・とか言ってくれるんだけど、これでおばあちゃんが損しないかなとか心配になるんだよ。」と言っていました。

その話を聞いて、逆にうれしくなりました。ユッキーは人の気持ちを察せるように成長してるんだ・・・。

 

ほどなく彼はその証券会社をやめ、1ヶ月間アジアに放浪の旅に出ました。