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ニャンチママの子育て日記

発達障害だったかなと思う子どもたちの子育て回顧日記

ユッキー20:書くことの支援にパソコンを教えはじめる。

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私の住んでいる町も、気温が25度を超える日が多くなってきました。

スーパーからはイチゴが消えて、スイカが登場してきましたが、我が家のイチゴはやっとなり始めました。お花へ水撒きをしては、アリさんやナメクジ君に取られる前に庭先でパクパクいただいています。今年はさくらんぼもたくさん食べられたし、ブルーベリーもたくさん実をつけています。なり年ですね。子どもたちがいたら喜びそうです。

 

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ユッキーが4年生の頃からパソコンでワープロを教え始めました。

字はだいぶ書けるようにはなってきましたが、相変わらずノートの字はぐちゃぐちゃで読めたものではありません。喋るのはぼそっと結構面白いことを言うのに、文章にはできないので、パソコンを使えるようになると便利だろうと思ったからです。

 

我が家にはユッキーが生まれた頃(31年前)から、パソコンがあって、私たち夫婦は一太郎や花子をつかって学級通信やら書類を書いていて、かなりその頃にしてはパソコンに慣れ親しんでいたと思います。

 

ローマ字を覚えたので、ちゃんと指遣いはホームポジションで練習させ、少しずつ打てるようになってきました。印刷すると綺麗な文字なので嬉しかったようです。その頃からインターネットも盛んになり、ネット検索をして楽しんでもいたようです。

 

不器用でなかなか字を書くのが嫌な子にとっては、パソコンはとても有効な道具だと思います。(今はタブレットや携帯もあるし、音声入力もできてとても便利ですよね。)

 

中学になると、ワープロの方が素早く打てて、書き直しも簡単なので、作文の下書きとかしていたようです。

ユッキーは書かせてみるとなかなか上手な文章を書く子でした。

中学2年生からは、夫の転勤でアジアのある国に住んだのですが、その町で学校帰りに見かけた大きなねずみのことを作文(小説?)にして、独特の世界観で表現していました。友達からも文章においては一目置かれているようでした。ママ友から、「うちの子が文集を持って帰って、僕のは読まなくてもいいからユッキーのを読んでみて・・て言ってたよ。」なんて聞いて、親バカに喜んだものです。

 

この時は、その後パソコンのことで事件が起きるなんて夢にも思ってもいませんでした。

 

ユッキー19:可愛い子には旅をさせよう

熊本の祖父母の家に兄弟3人で電車に乗って行かせたことがありました。多分、2年生の時だったと思います。妹たちは1年生と年中さん。今思えばちょっと無謀だったでしょうか。

 

ユッキーは他人を思いやるということが普段あまりなかったので、妹たち二人を連れて行くことで、ちょっとは兄としての自覚を持って欲しいと思ったからです。

 

その頃はまだブルートレインが走っていて、我が家のある街に朝になって到着するブルートレインに乗せれば、熊本にはお昼近くに着くのでした。私が電車に乗るまで見送り、母に熊本駅のホームで待ってもらって、

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電車に乗って4時間くらいの旅だったと思います。

 

後から聞いてみたら、3人は喧嘩することもなく、まあまあお行儀よく(本人たちが言うのですから、本当はどうだか???でしたが)自分達の持っていたおもちゃや本で遊んだり、景色を眺めたり、前に座っていた大人の人たちに相手にしてもらったりして無事熊本にたどり着いたようです。妹達に聞いたら、ユッキーはちゃんと決めていた博多あたりで妹達におやつを分けてあげたようでした。

 

学校では相変わらずいろいろなことがありましたが、子どもにとっては親から離れて小旅行を成し遂げたということはやはり大きな自信や喜びにつながるようでした。両親や両祖父母からもずいぶんほめられましたからね。

 

それから、ブルートレインでもう1回。新幹線乗り継ぎでも1回行かせてみました。新幹線乗り継ぎの時にはどっちに行くのかわからなくなって、大人の人たちに尋ねたりしながら乗ったようです。

「わからなかったら、誰かに尋ねたらいいんだ。」というような生活の知恵も、体験の中から学んでいくものなんですよね。

いつもはそれぞれ一人っ子のようなマイペースな人たちですが、親から離れるとそれなりに仲良く協力していたようです。3人だからこんな冒険もできるということも知って欲しいと思っていました。

 

高校を卒業してから、3人が割とすんなり親離れして一人暮らしを始めたことや、外国でも一人で出かけるバイタリティーを持っているのは、やっぱり小さい頃からなるべく親離れして自分で動くことの自信をつけさせるようにしてきたからかな・・・と思ったりしています。

 

 

ユッキー18:(2年生)勝手に自分の教育過程を歩む。

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私の勤めている病院のドクターは、よくこの図を使って発達障害の説明をします。

発達障害は、端に位置している子どもたちで、少数派であってそれが悪いわけではない。今の育児のやり方や教育が真ん中付近の子どもたちに合わせたやり方をしているのだから、少数派であるこの子どもたちには別の育て方や別の教育をしてもいいということだ・・・・と。

つまり診断をするということは、通常の育児や教育をしなくてもいいんだよというお墨付きなのだそうです。

ドクターは「世界を変えていくのはこの少数派の人たちなんだよね。」とも言っています。

 

今丁度、NHK発達障害についての番組をやっています。

みんなによく知ってもらって、少数派の彼らが生きやすい世界になってほしいものです。

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ユッキーにもお墨付きが欲しかったです。

 

その頃は診断してくださる先生はいなかったのですが、ユッキーは勝手に自分の教育過程を歩んでいました。

 

1年生のときの先生は、みんなと同じことをさせようとして親子して四苦八苦していましたが、2年生の先生は先生になったばかりで、ユッキーだけでなく、やんちゃな子ども把握することができず、学級崩壊状態でした。

参観日には、先生が黒板に何か書き始めると、後ろでは鉛筆や消しゴムが飛んでいく状態でした。

 

でも、その方がユッキーにとっては居心地がよかったようです。

 

1学期末の懇談会のときにどんな様子か尋ねたら、「後ろにある学級文庫を全部読んだと思います。」という話。   ???

世界の童話全集のような分厚い本が40冊ほどありました。授業中に教科書も出さずに本を読み続けていたようです。「え〜教科書ぐらい出させてください…」と言いましたが、内心、『うるさい教室の中で、この集中力はすごい。』と思ってしまいました。

相変わらずノートは取らないし忘れ物もたくさんある人でしたが、基本的な学習の技能や知識はついてはいたので、まあいいか〜と思っていました。

自分のやりたい活動は、女の子のグループの中でも全然へっちゃらな相変わらずのマイペースぶり。

 

しかし、親子ともストレスからちょっと解放された2年生生活でした。

 

 

ユッキー17:みくちゃん母ちゃんの言葉を思い出しながら・・・・

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なんと、昨日ユッキーから電話がありました。滅多に電話などしない子なので、悪い知らせかとドキドキしてしまいます。ユッキーは31歳になったけど、いまだに、何かやらかすんじゃないかと心の奥底では心配している母です。

「いやー母の日(1日遅れでしょう〜)だったからちょっと電話してみた。」ということで、ホッ!

というか、初めてじゃない?こんなこと。

 

東京のハザードマップで真っ赤なところに住むのを心配している母に、相変わらず「大丈夫、大丈夫。」を繰り返すユッキーでした。

 

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1年生の時のことに話を戻します。

友達と仲良くできたり掃除を頑張ったりしたかと思えば、順番抜かしをしたり、友達の物を破いたり・・・。数字カードを100までなんか並べないとひっくり返ったり字の書き直しをしないと言って遊んだり。

先生は毎日丁寧にお手紙をくださり、母は一喜一憂しておりました。

 

そういえば、ユッキーが1年生の時にお隣のクラスの担任だったN先生と、最近英語の会で出会う機会がありました。妹の話(彼女に2年生の時に担任してもらった)をしていたら、カナダ人の先生が、「いい子だった?」と尋ねてきて、N先生は「女の子はいい子でした。」と説明していました。それって暗に兄の方は大変だったってことよね〜。と言い方から思ってしまいました。そして、ユッキーの今の写真を見せたら、「まあ、立派になって〜。」といいつつも、大丈夫か?・・・て顔。

やっぱしね〜。1番大変だった頃を知ってるから・・・・・あはは・・・

 

大変だった頃、私がよく思い出していたことは、みくちゃんママのこと。

 

みくちゃんは、私が東京で新任の頃に担任していた6年生の子どもです。

言葉のない自閉症の大きな女の子でした。

癇癪をおこしては玄関の入り口のガラスも蹴って割るようなパワフルな女の子でした。

当時は養護学校義務化になった次の年で、東京都は早くから養護学校対象の子どもも障害児学級に入れていました。

みくちゃんはかなり知的に重度のお子さんで、育てるのは大変だったと思います。

みくちゃん母ちゃんは、家業の八百屋を営みながら、家族の世話(特にお姑さん)やみくちゃんを育てることで大変だったと思うけど、とても愛情溢れるやさしいお母ちゃんでした。

みくちゃんが卒業するお別れ会の時に、お母さんがみんなにお話をしてくれました。

「わたしは、みくが小さい頃、何度もビルの屋上とか一緒に行って、二人でここから飛び降りたいと思いました。こんな子が生まれたのはあんたのせいだとお姑さんにも何回も言われました。でもある時星を見ながら思ったんです。この子はわたしじゃないと育てられないと思って、神様がわたしに授けたんだと。いろいろあったけど、この子のおかげで、いろんないい人たちにも先生方にも出会えました。これからもこの子と頑張ります。」

 

この時のみくちゃん母ちゃんの話は、わたしの心の支えになりました。

みくちゃん母ちゃん。わたしも頑張るよ・・・・と思って、毎日踏ん張っていました。

 

今思えば、ユッキーたちのおかげで今の私があると思います。私が教師のかたわら、勉強会に出かけて支援教育の勉強をしてきたことや、臨床発達心理士の資格を取ろうと思ったこと。同じようなお母さんたちを応援できればと思って今の心理士の仕事についたこと。新たに先生を目指す人たちのために、私の経験を語りたいと思ったこと。・・・・

 

苦労して子育てしたことで、私も育ちました。

ありがとう。

ユッキー16:マイブームは株価チェック

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今日は母の日、3番目のハーちゃんからカーネーションが届きました。女の子たちは、毎年何かしら母の日にプレゼントしてくれます。ユッキーは長年母の日にも誕生日にも何も音沙汰なしだったのですが、ここ3年、誕生日にプレゼントをくれています。すごい成長です(うれし涙)

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ユッキーの1年生の頃のマイブームは、株価チェックでした。(やっぱりアスペっぽい)

おじいちゃんが株をやっていて、毎日のように株価を見ているのを見て、質問攻め。株の仕組みが分かったんだか分かってなかったんだか・・?ではありましたが、おじいちゃんの株がいくら上がったんだとか、今日はどこそこの会社の株がすごく上がっただの下がっただの、ジージと話していました。孫可愛さにジージはでれでれで、ユッキーは賢いと喜んでいました。

 

2年生の頃はマイブームは去っていたのですが、中学生の頃は、証券会社のやっている子ども向けの仮想株価ゲームみたいなのをやっていて、「僕は20万円を300万にした。」みたいなことを言っていたように思います。

 

ずっとずっと後になり、就職試験にことごとく落ち、自主留年してもう1年就活をし、やっと受かった会社が証券会社で、小学校1年生の時のことを思い出して笑ってしまいました。証券会社の営業マンか・・・・。

 

その頃、担当していたアスペっぽい子どものお母さんとお話しする機会がありました。お母さんが言われるのには、息子は父親とそっくりだと。ちなみにお父さんは何の仕事をされているのか尋ねると、何かの大きな機械を売る営業マンだということでした。それが凄腕の営業マンで売り上げが凄いんだとか。その機械の素晴らしさをとうとうと喋って相手をその気にさせるそうです。売れなかったら、その素晴らしさをわからない相手が悪いと落ち込むこともないのだそうです。なるほど、営業というのは、こういうタイプの人には向いているのかもしれない・・・・と思いました。

 

証券会社の営業マンは、相手の気持ちを察せないほうが、うまくやれるかもと思いました。

しかし、ユッキーは就職して丸1年して何と「うつ」っぽくなってしまったのです。「小さなお店をやってるおばあちゃんが、あんたが勧めるならそのファンド買おうかな・・とか言ってくれるんだけど、これでおばあちゃんが損しないかなとか心配になるんだよ。」と言っていました。

その話を聞いて、逆にうれしくなりました。ユッキーは人の気持ちを察せるように成長してるんだ・・・。

 

ほどなく彼はその証券会社をやめ、1ヶ月間アジアに放浪の旅に出ました。

 

 

 

 

ユッキー15:自然大好き

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長女が小さい頃植えたサクランボが、今年はたくさんなりました。

今が一番熟しています。

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今振り返って思うと、母としてよくなかったなあと思うところが多々あります。

 

一番よくなかったのは、ユッキーを普通にしようとしていたこと。

連絡帳を読み返してみても、私の子育てに力が入りすぎていたのが分かります。何とか成長の正規分布曲線の真ん中に近づけようとしていました。それはやっぱりあの子の情緒面を歪めていたと思います。丸ごと好きでいてあげたらよかったのに・・・・。

 

ユニークな面白いところ、いいところをいっぱい持っていたのに、日々の問題に振り回されていました。

でも、だんだんユッキーのよさを、ユニークでいいかもと思ってきていたとも思います。

 

(自然大好きユッキー)

我が家の周りは自然がたくさん残っていました。当時から流行りだしたファミコンをあまりさせていなかった我が家のユッキーは、同じような境遇の近所の翔くんとよく外で遊んでいました。もともと動くのが好きでなかった子どもなので、やっと外が好きになってくれたと喜んでいました。

そのうち「柿があったんよ。」とか「筍を掘ってきたから料理して。」とか、持ち主がいるとは知らずに二人でなんやかや食べる物を探すようになってきました。私と歩いているときも、「お母さんこの草食べれる?」とよく尋ねたりしていました。

ある日、翔くんのお父さんがやってきて、「たいへんなんよ。二人が植えたばかりの玉ねぎ全部ぬいちゃって。」・・・・・・・。

そこは農家の人が生産している玉ねぎの畑で、横15m 縦50mくらい。 苗は1000本以上あったと思います。

怒る前に、よくこんだけの広さの畑の苗を全部ひっこ抜いたもんだと感心して眺めてしまいました。引っ張ったらぽこっと出てくる2〜3cmの玉ねぎの赤ちゃんが、面白かったのでしょう

親子4人でお金を包んで謝りに行き、農家のおじさんに、長時間こっぴどくしかられました。

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(今でもこの家族と飲むときは、いつも酒の肴になる逸話です。)

 

このあと、この家族はよその県に転勤になり、なかなかこんな遊びはできなくなりました。でも、翔くん家族が里帰りするたびに自然の中での遊びをしていました。ユッキーの難しい話にもついていける友達でもありました。年に2〜3回、ときどきしか会えないからこそ続いて、今でも仲のよい竹馬の友です。こんな友達(親友)がいるのは、こういうタイプの子どもにとっては少ないと思うので、幸せなことだと思います。

 

 

 

ユッキー14:素直になったり駄々をこねたり

先生との連絡帳のやり取りの続きです。

 

12月9日 先生へ

仕事から帰って来ると、「お母さんこれ見て。」とすぐに(お正月の)輪飾を見せてくれました。「いろいろ工夫してあってすごいね。」と言うと「霧吹きで長持ちさせてお正月に飾ろうね。」とうれしそうに言っていました。

今日は自分からランドセルも片付けたそうです。宿題もすすんでやりました。

先生にほめられたことがとても嬉しかったようです。あまり学校のことは話さない子なのですが、「今日は先生にほめられたんだゾ!」とうれしそうに話してくれました。それで張り切っていたのかな・・・。

 

12月9日 先生から

今日は、朝、「おはようございます。」とあいさつして教室に入ったとたん、ユキ君が「おはようございます。」と抱きついてきました。

1時間目は「ずっとずっと大すきだよ」の感想文を書くのだったのですが、「やりたくない。」と言ったので、「粘土遊びでもする?」と聞くと「うん」と、このときばかりは素直にだまって一生懸命取り組んでいました。2時間目は算数で2学期のまとめで、教科書の問題をやるようにさせたのですが、「◯+◯=◯」とか大きな声で言うので、他の子から「うるさくて計算ができん。」と文句が出ました。「人の邪魔をするんなら、粘土の続きをする?」と言うと、「そうする。」と2時間目も粘土遊びを続けました。中間休み、一番に遊びに出ようとしたので、「みんなが勉強するときに遊んだのだから、今度はみんなが遊ぶときに勉強しなくちゃ。」と言うと大パニックになって、その後私と指切りをして、家でできるところまで頑張ってくると約束しました。

興味が湧くことには一番に取り組めるのですが、なかなか嫌なことには動作が向かないようです。

4時間目、道徳で「ありときりぎりす」と勉強をしたのですが、ユキ君は「夏に楽しんで、冬はありからご馳走を分けてもらうきりぎりすの方がいいんよ。」と言っていました。人間の生き方として、嫌なことも我慢して取り組まねばならないこともあることを教えていきたいと思います。

 

う〜む。難しいことは、ヒントを与えたり、量を調整してくれればいいのになあ〜

道徳の件はユッキーの言うことにも一理ある。外国での解釈はそうですからね。でも、ここは日本人としての解釈も教えておかなきゃですね。とにかく先生は真面目な方なのだと思いました。

 

こんなタイプの子どもは先生と合う合わないははっきりしていて、大変な年とすごく調子のよい年とありました。でも、今思えば、大変な年も試練で、いい経験ができたのだと思います。そのときにいろいろな対処をして親子で乗り切ってきたからこそ、今のユッキーがあるのだと思っています。

 

ちなみに彼は今、ちゃんと通常の就業で、企業でアリのようにちゃんと働いています(笑)

 

12月10日 先生へ

音読の宿題が終わって「もう一つ宿題がある。」と言って、算数の宿題をやりはじめました。その間に私は連絡帳を見てびっくり‼︎ どうするかなと見ていたら、集中して2ページやりあげました。周りでは妹達が遊んでいても、黙々とやれるのに、なぜ学校ではできないのか不思議です。でも、学校で先生と約束したことはきちんと守れているんですよね。

夕食後、主人と私とユキで、今日のことについて話し合いました。

「やりたくないと言ってやななくていいのか?」とたずねると、「いけない」と言っていました。「じゃあどうしてやらなかったのか?」とたずねると、ノートに書くところがなかったからと言っていました。ノートはあと6ページもあったのです。(この前から全然ノートに書いてなかったので、駄々をこねて書いていないんじゃないだろうかと心配していました。)

それからいろいろ話し合って、結局感想を書くことになったのですが、いざ書くとなると書けなくて、エルフが死んだことに対して、家で夏にカブトムシが死んだことを思い出させながら書かせました。夏休みの感想文は、一つ一つ質問しながら1週間くらいかけてやっと書いたんです。何か一つのことに対しての考えくらいなら書けるけれど、思ったことを書くように言われてもユキには難しかったのかもしれません。

 

自閉傾向のある子どもは感想を書くのは難しいですよね。気持ちが察せないのだから。)

 

算数の時間のことについては、ふざけていたと言っていました。これは完全に先生に甘えていると思います。

 

(場の雰囲気を感じとれなかったり、マイルールが通ってしまって強化されてしまっていたりしてますね。)

 

ユキの癇癪や駄々をこねることには小さい頃から随分悩まされてきました。別に特別なことを強制してやらせているわけではなく、ただ普通の日常生活を営むときにやらねばならないことをしたがらなかったりするのです(一番の例は「歩くこと」)。それもひどい駄々のこねようなので、随分手を焼きました。

でも、やらなければならないことは、どんなに駄々をこねてもやらせるようにしてきました。こちらがひどく怒るともっと意固地になるので、優しく言ってみたり、待ったり・・・。「〜しなさい。」という言葉には拒否反応を示すので、「〜しよう。」と言ったり、ご褒美をあげてみたり、自分でやることを決めさせたり、活動量を少なくしたり、すごくほめてやったり・・・・いろいろな手を考えてやらせてきました。それは今でもよかったと思っています。それを彼の言いなりにやらせなかったら、今、興味関心のあることも、なかったと思うからです。

ただ、今にして思うのは、彼にしてみれば、自分のやりたいようにできなかった心の痛みがあったと思うので、その部分のなぐさめがもっと必要だったのではないかと思うのです。心のフォローは必要だけど、やらねばならないことは、やはりやらせないといけないと思います。

今の学校の状況を見ると、家よりひどいと思います。保育園のときは家では大変でも、一応みんなと同じことをやっていたと思うのですが・・・・・。

学校はきまりが多いし、やることも高度なので、ユキにとって大変なことが多いとは思いますが、嫌だと言っても何か活動の手がかりを持たせてやるとできないことはないのではないかと思います。

保育園のときには先生にはあまり打ち解けていないようでしたが、今はM先生にとても親しみを持っているようです。その分甘えが出て、駄々を言いやすいのだと思います。家でも私やおばあちゃんに一番駄々をこねるのですから。ユキの駄々こねに私が負けそうになると、いつも義母が、「ユキはお母さんに駄々をこねて、どれくらいだったら言うことが通るか試してるのだから、ここぞと思うときには負けちゃいけんよ。」と随分励まされてきました。

本当に大変だと思います。先生の大変さは私にもよく分かります。でもユキのためによろしくお願いします。

明日は頑張ると言っていました。

ユキを信じて私も元気を出そうと思います。

 

25年前、広汎性発達障害ぽいところは、私もわかっていなかったので、理解しがたいところも多々ありました。今ならもっと上手に育てられてたかも。