発達障害理解の授業をしませんか?
発達障害の子どもたち本人への指導をいくら頑張っても、環境調整なしではなかなか集団への適応は難しいところがありますよね。
見た目よくわからないので、なかなか周りも理解してくれない。
見た目でわかる障害についての授業は今までもよくありました。
目隠しして歩いたり、車椅子体験したり、体験的に学ばせることも多いです。
しかし、発達障害についての障害理解の授業はなかなかありません。
学校の中は、発達障害の子どもたちが断然多いのです。
以前からわたしはこのような障害理解についての授業をする必要性を強く感じていました。数年前から6年生に、いろいろな障害(発達障害も含む)があっても、持ってる力を生かして頑張って活動している人たちについて紹介し、自分たちの生き方についても考えてもらうような授業をしてきました。
でも、他の学年については、必要性を感じても日々の忙しさに翻弄され(通級で30人くらい担当)、なかなか考える時間がないし、一人で授業することは無理だと感じていました。
でもでも、教員を辞めることを決めた3年前に、「もう、今しかない。」と奮起しました。が、インターネットで調べてみても、発達障害についての障害理解の授業はヒットしません。
それで、子ども達の社会性の発達に応じて、内容の原案はわたしが考えました。
それを元に特別支援教育を担当する7人の教員と一緒に各学年の指導案を作り、教材を整え、研究授業をして周りの先生方に紹介しました。
そして、学級活動の中で通常学級の先生方に授業してもらうように、年間指導計画に入れてもらいました。
次の年から、参観日にその授業をしてもらったりしています。
この指導案は、みんなに公開して、広く他の学校でもアレンジして使ってもらうといいと思って、学校のホームページに載せるように提案したのですが、今は、問い合わせがあれば提供するようになっています。
次回は、具体的な内容について紹介します。
どうなる?小集団SST
(さっぽろ雪まつり:タイ国の作品)
大学の後期の授業が終わり、半年ぶりにブログに復活です。
自分にご褒美で北海道旅行に行きました。なんとユッキーと二人で。
親に気遣いできるようになった彼が、ちょっとうれしかったなあ。
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今日は小集団のソーシャルスキルトレーニング(SST)のお話をします。
最後に勤めた小学校でおこなっています。
通級で小集団を組まれているところは多いと思いますが、この学校でやっているSST
はちょっと違います。学校全体を巻き込んでのSSTです。
学年で道徳の時間を統一してもらい、そこでその学年の小集団を組むようにしています。
通級や知的・情緒の学級でSSTの必要な子どもたちがレギュラーメンバーです。6人の内の3人がレギュラーメンバー。後の3人は通常の学級の子どもたちを順番にゲストとして招きます。
レギュラーメンバーは3週間に1回くらい。通常学級の子どもたちは1年に1回くらいの参加になるようにしています。
内容は、聞く・話す・協力してグループ活動(ゲーム)をするようなことです。
1・2学期は2・3・4・5年、3学期は1・2・3・4年のSSTをするので、通級担当は週4時間SSTを計画しています。
もう8年ぐらい取り組んでいるので、計画も教材もしっかり用意してあって、担当が変わっても取り組めるようにしてあります。
効果はとてもよくて、
・大きな集団の中ではなかなか話せなかった子どもがここで自信をつけた。
・話すスキルを身につけた。
・さりげない集団でのルールを明確にすることで、わかるようになった。
・集団で動くことの面白さ、協力することの良さなど体験から学べた。
・ルールを守るから面白いということがわかった。
などなどレギュラーメンバーは、個別と学級の大きな集団の橋渡しになるような学習として取り組めているし、自分が出せる場になっています。
そこに通常学級の子どもたちが参加するので、
・◯◯ちゃんが、いつもより頑張っていて驚いた。
・◯◯ちゃんに教えてもらった。
などレギュラーメンバーの再発見ができ、
・聞くことは頭のテレビに写すのが大事(イメージ)とわかった。
・何回も発言できて楽しかった
など、自分も勉強になり楽しかったというような感想もたくさんあります。
通級の先生方は、その日の小集団の様子をA41枚にまとめて、通常の先生方にわたしています。先生方も小集団学習の中で、子どもたちのいつもとは違う面を見られるし、なにより子どもたちが自分の番が回ってくるのを楽しみにしていて、帰ってきた子どもたちが「たのしかったー!!」と報告する笑顔がとびっきりいいので、この活動を支持してくれています。
この活動の教育課程への位置付けですが、レギュラーメンバーは自立活動。通常の学級の子どもたちは交流活動ということで行っています。道徳が1時間減るけれど、この学習の効果を考えての、当時の校長の度量の大きさでの判断だったと思います。それ以後3人校長が変わっていますが、それぞれ認めてくれていました。授業公開も何回かやりました。教育委員会の先生方や長期研修の先生方の視察も年に数回やってきました。
わたし個人でもいろいろなところで事例発表をしていますし、今、大学でも学生たちに講義もしています。どこでも評判はよく、ある大学の教授は「すべての学校で取り組んだらいいのに。」とも言ってくださいました。
ですがここにきて、この小集団SSTの灯火が消えつつあります。
原因は、道徳の教科化です。評価も伴うので、そことリンクして小集団のSSTがしにくくなったということです。学級活動でという話もありますが、それはすこし無理がありそうです。内容的には机上の道徳よりよっぽど学べると思うのですが・・・。
教科化になっても評価は記述式ですから、この活動も入れての評価で構わないのではないでしょうか。(今までも通知表にSSTのことを書かれている先生もいました)、柔軟に対応できる人材を育てなければいけないし、育てる側もそうであってほしいと思うのですが、規則に縛られるあたまの固い管理職では難しいのでしょうね。
もし、この教育に興味がある方は、資料を山口県の教育委員会特別支援教育推進室を通して学校にお問い合わせください。小集団SSTを学校ぐるみで継続的に行っているのはその学校だけなのでわかります。小集団SSTの年間指導計画や授業公開した時の資料とかあると思います。この次ブログに書こうかと思っていますが、発達障害についての障害理解授業(1〜6年生)の指導案もあります。
それは合理的配慮なのか?
宮古島の海です。
日焼け止めのCMに出てくるような海だ〜と思いながら見ました。
本格的な夏ですね。
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仕事場で、ディスレクシアの子どものことを話しました。
その子は読み書きに困難さがあるので、親は教育センターの先生とも相談して、iPatを学校で使うようにして、板書のときとか黒板に書いてあることを写真にとり、ノートに書きやすいようにしてやってはどうか・・・・と考えているようでした。ところが校長にそういうのは前例がないからできないと言われたようで、ドクターに意見書を書いてほしいということでした。
でも、ドクターは、成績はそれなりに取れているのを知って、その必要はないだろうと言われました。
ドクターは日頃からYouTubeを見ることとかをすごくすすめる方なので、どうしてこの件は反対したのか尋ねてみました。
理由は3つ
①学校でiPatを使うには、支援できる先生が必要。校長からして理解がないのに無理やり導入しても活用できないだろう。学級の先生もこの子の困難さを理解できていないようだから、これを使うことによって周りの子たちからいじめられるかもしれない。
②本人は読み書きには困難さがあるが、それなりの成績が取れているということは、聞いて学習する力を自分なりに身につけてきていると思う。自分なりの学習スタイルがあるわけで、それを認めてやったほうがいい。だいたい板書はiPadを使ってしなければならないほど必要なことなんだろうか?板書を写真撮ったらもう書かなくてもいいでしょう。それが合理的配慮じゃない?聞いて記憶できてそれでいいでしょう。
③iPadを使うなら家でしたほうがいい。今後社会に出た時には自分の困難さをうまく乗り切れるように。
そして、学校というところがあまりに同じやり方、同じ価値観をもとめていることに疑問を投げかけられました。
足し算でもやり方はいろいろあるけど、教科書通りにさせようとする。指使うのを先生は嫌がるけど、速く指使えるようにしたほうが本人的にはいいかもしれないのに・・・。
ということでした。
なるほど。
先生の言われることはよくわかります。
学校は同じやり方同じ価値観の共有を強く求めるところがあります。
私もユッキーのことでとても苦労しました。
でも、
もし本人に、みんなと同じように少しでも楽に板書したいという思いがあるのなら、iPadをつかってもいいのじゃないかな?
大事なのは周りの理解でしょうね。
私のいた学校は弱視の子どももいたから、数人使ってましたけどね。
だれかがどこからか穴を広げていかないと、支援の理解は広まっていかないとも思います。
ユッキー27:ぶきっちょさんの就職
マンゴーの季節です。宮古島から送ってきました。今年は豊作だそうです。今まで食べたマンゴーの中で一番おいしかったなあ。
日本の果物は、りんごもなしもいちごもすいかもぶどうも、とっても甘くて美味しいですよ。
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ユッキーの大学生活は、遠い東京で何かいろいろあったと思うけど、親は離れていて知らぬが花・・・・的に終わりに近ずいておりました。
しかし、
ユッキーは就活で落ちまくり、ついには就活やり直すためにわざわざ単位を落として留年し、ようやく次の年に証券会社に就職しました。
そこは顧客と直接やりとりするような昔ながらの証券会社。
2ヶ月の研修では、お客様へ接する礼儀作法、お礼の手紙の書き方などなどもあったようです。
初めてのお給料をもらった時に親に感謝の手紙が自筆で届いた時には、感無量で涙が出ました。これも研修の一環だったようですが・・・・・・。ぶきっちょさんが、自筆で手紙を書いているだけで涙ですよ〜。
それから都内の支店に就いたのですが、当時のアパートからは1時間くらいかかるところ。朝のラッシュにあうと大変だし、新人は暗黙の了解でお掃除をするようになっていたようで、家を出るのは始発で行っていたらしい。
中学校のときにすごく遅刻していたこの人がですよ・・・・・。
この頃研修のために上京した母がユッキーの部屋に行ってみて、押入れを覗いてみたら、服がちゃんとハンガーにかかっていて、ネクタイがくるくると巻かれて100均カゴに収められていて、感激(涙)。
すべてビシッというわけではないけれど、小さい頃からのことを考えると夢のような姿でした。
会社に育てていただいたのですね。
ユッキーができなくても一応やり方は教えておいたので、頭の片隅にはあったのかなとは思います。
結局、この会社には1年2ヶ月しかいなかったのですが、最初に鍛えていただいてとてもよかったのではないかと思います。
「古いお店をやってるおばーちゃんに、あんたが言うならその債権買うよ・・・と言われて、もし、損をさせたらかわいそうと思うんだよ。」と言って、悩みながらその会社を辞めました。
人の気持ちをなかなか察せない人だと思っていたけど、そういう面でも成長したんだなと思いました。
それからカード会社にしばらく勤め、今は資格をとって、エンジニアをしています。
キャリアアップしています。
小さい頃は、不器用だし人付き合いも集団に合わせるのも苦手で、大変なことがたくさんあったけど、それなりに育っていくもんだと思います。
親としてどう育てたらいいのか悩みに悩みながらの子育てで、何が正解だったのか身内すぎて分析できないのだけど、
大事なのは、子どもをしっかり受け入れることかな。
ユッキーがいろいろ変なことしても、怒りながらも、心の中で面白いやつだ・・・と思う母がいつもおりました。
そういう気持ちをユッキーもちょっとは感じててくれたんじゃないかな。
そういうのって、たとえ言葉を話せない子どもでも、相手の気持ちが察せられてない子どもでも、結構伝わっているものだと思います。
ユッキー26:ブッキーさんの一人暮らし。彼女も・・・・?
母の日に義母に贈った紫陽花たちが、今年も咲きだしました。
でも、この辺は、最近カラッと晴れて爽やかないい天気。
例年になく涼しいです。
おかげで屋根の上の太陽光パネルもよく働いてくれています。
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
母を欺き、見事山手線内部の私立大学に合格したユッキー。
一人暮らしできるんだろうか???
お財布を持たず、いつもポケットにお金ジャラジャラ。
部屋の中はいつもぐちゃぐちゃ。何日も同じものを着ていたり、お風呂に入らなかったり。
洗濯できるの?ご飯作れるの?掃除できるの?
とりあえず、大学に入学するまでの1ヶ月間、家の食事を作らせることにしました。
そしたら、凝ること〜
カレーでも、数々の調味料を調合しようとする。
趣味じゃないんですから日々の暮らしは・・・。
簡単に毎日作れるレパートリーを身につけなければ。
母が何と言おうが、
「なんとかなるよ。コンビニもあるんだし。」と、例のごとくお気楽。
そりゃそうだけど、限られた予算の中でやっていかなければいけないということがわかってるかな?
アパート暮らしをすると言い張ったけれど、母は勇気がなく、とにかく監視の目がある下宿屋へ入れることにしました。
早稲田にある木造の下宿屋で、趣のある古〜い由緒のありそうなところでした。(ユッキーのいるときに、ドラマのロケも行われたとか)
ユッキーの部屋は四畳半。共同のトイレに共同の台所に共同のシャワー。お風呂は銭湯へ・・・・・というような一昔前の暮らしですが、ユッキーにはいい勉強になるんじゃないかと、決めました。
秋に儀母が部屋を見たいと言うもので、東京に連れて行ったときには、やはり・・・・・・
儀母と共に、山のような空きペットボトルとちり紙(その頃やたらと鼻水が出ていたらしい)とその他もろもろを片付けて帰りました。💧💦
想定内ではありますが、絶句!
本人は狭すぎて汚すぎてかたずける気にもならないと言い、2年目には大学のもっと近くに引っ越しました。母は恐ろしくて、このアパートにも1回しか行きませんでしたが、1度目の下宿より足の踏み場はあったかな?・・・。
大学ではロックバンドを始め、母の知らない間には金髪にもしていたらしいけど、サークル代表で学祭担当になり、大学3年のときには実行委員長にまでなったとか。東京の大学の学祭って一千万のくらいのお金が動くらしく、お金ジャラジャラのどんぶり勘定でマイペースで突っ走る人が大丈夫か?と思いましたが、一人が担当するわけではないので、みんながカバーしてくれると、当時の彼女が教えてくれました。
この彼女はとてもいい子で、しっかりした年上の彼女でしたが、ほどなく別れ、それからはずっと女っ気なし。ユッキーのユニークさ、マイペースさに付き合いきれる人はそういないかも・・・・・・。
さて、大学でも、図書館から本が返却されてない・・・とか、実家にまで電話がかかってくるような人でしたが、社会に出てからが問題。この人は社会で通用するんでしょうか?
ユッキー25:大学受験もハラハラ
昨年の3月に退職祝いで頂いた胡蝶蘭が今年も細々咲きました。
ガーデニングは私の心の癒しです。子育てはなかなか思うようにはいかないけれど、お花は正直に咲いてくれます。
でも、過保護でも放ったらかしでもいけないのは、子育てと一緒か・・・
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「大学には行かない!牧場で働く!」と言い張っていたユッキーが、牧場3K体験をして軌道修正し、大学受験することになりました。
しかし、ここでもこだわりが・・・・・
「東京の山手線の中にある大学に行く。」と言い出したのです。東大は無理なんだから、私立大学!!!!?
成績から考えても無謀だし、下の子二人も年子でお金かかるし、親は地元の旧国立大学でいいじゃないと思っていたのに・・・・・
高2の面談で担任に相談したら、
「うちの高校の教育課程の内容では、東京の偏差値上位の私立は受けられないと思います。」と言われてしまった。田舎の学校ですから・・・・でも一応進学校でしょう?
いとも簡単にそう言われ、それって塾に行きなさいということよね・・・とちょっと呆れました。
ユッキーの竹馬の友のショウくんは、福井の高校に行っていて、塾に行かなくても学校内の補習体制がバッチリと母が言っていたのに、うちの県の高校の体制は・・・・・・まるっきり塾に頼りきっている・・・・・・・・・。
塾に行かせても箸にも棒にも引っかからないんじゃないかと思ったけど、一応行かせてみることにしました。
そしたら何と英語と国語と社会政経はグーンと伸びてきました。
記憶はいいんですよね。でも、数学はさっぱり。
地元の大学の経済学部だったらA判定。でも東京の私立はD.E判定。やっぱりそこは無理そうです。
受験勉強始めたの高校2年の夏から。しかも文化祭委員長なんてのもやっていて(乗せられた?)、11月まではろくに勉強もせず、3年の夏の判定でこうでは難しいでしょう。自分の入れそうなところに無理せず受ければいいのに、本人は、
「大丈夫、大丈夫。現役は最後に伸びるから。」とお気楽。
最後までC・D判定しかないままにセンター入試に突入。
雪の降る寒い日でした。
帰って来るなり、
「数学捨てたから。」
「は~ い?どういうこと?」
「受けないで、その時間、次の政経の勉強したから。」
「それって、結局(旧)国立捨てて、数学のない私立の△大学だけにしたということ?」
「そうそう。」
なんてやつだ。勝手に!受けてみるだけでもよかったのに!
いつもいつもユッキーのマイペースに翻弄される母です。
結局、ユッキーが合格したのはセンター入試で合格したこの大学だけ。
本人の願い通り、山手線の中の私立大学に行くことになりました。
考えてみれば、小学校1年生のときの、あのとんでもなかったユッキーがここまで成長して大学行こうっていうんだから、神様に感謝しなきゃです。
お金かかっても行かせてあげましょう。・・・・・と思い直した母でした。
ところで、一人暮らしできるんでしょうか?
ユッキー24:行ってみたら?牧場へ
ユッキーが体育で「1」をとったという話がありましたが、
先日OTさんと話していたら、中学時代にやはり「1」を英語でとったことがあるという話が出てビックリ。
発表点というのがあって、彼女は発表が嫌いな子で、テストの成績はいいけど、発表するように強要され、それでもしなかったので「1」の評価をつけられたそうです。
まったく!中学の先生は!・・・・・・と話が盛り上がってしまいました。
マイルールを押し付ける先生が多すぎ。そして成績を切り札にする。
今、そんな先生はとても苦労する時代になったと思う。
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
ユッキーは高校生になっても、「将来は牧場で働く。」と言い張っていました。
一度言い出したら、他人が何と言おうがダメなので、私はこう言いました。
「いいんじゃない。だったら、牧場でアルバイトしておいでよ。」
彼が中3の時に、家族でオーストラリアにファームステイしていました。
そこに連絡をして相談しました。
『食費だけ出してもらって、見習いをしてもらいましょう。アルバイト料は出せないけど、その代わりフォースライディングはコーチしてあげよう。』
という条件で、高校1年生の夏休み2週間、オーストラリアの牧場に放り込んじゃいました。
外国なら逃げ出せない。やってもらいましょう。
不器用なユッキーにこういう仕事が向いているとは思えませんが、本人がそれでもやりたいというのであれば、それはそれでいいと思っていました。
意気揚々とユッキーは出かけていきました。
パースの空港で、なかなか迎えに来てもらえず、心細い思いをしたようですが、何とか牧場にたどりついたそうです。
2週間それなりに仕事をし、フォースライディングもそこそこできるようになって、日本人の観光客を馬に乗って案内とかもしていたようです。
思っていたよりやるじゃない!
しかし、彼はこう言いました。
「お母さん。牧場は3K(キツイ、汚い、臭い)の仕事で大変なんだよ。つなぎの服で仕事するんだけど、馬の糞がついていても、次の日もその服を着て仕事をするんだよ。」
「そうなんだ、大変だったね。それでもこの仕事するんでしょ?」
「ちょっと向いてないかも。やっぱり大学行こうかな。」
自分で進路変更しました。
うちDr.がよく言ってます。
「自閉の子は体験から学んでいく。だからいろいろ体験したり、YouTubeとかで疑似体験させて学ばせるといいよ。」と。
その頃は、Dr.とはまだ出会っていなかったのですが、体験で学ばせる事ができました。